(2001年12月18日)
1ページ目 【政策立案権をにぎる「族」とは?】
2ページ目 【有力な「族」、力と現状】
3ページ目 【「族」政治の今後は?】
【政策立案権をにぎる「族」とは?】
ある特定分野の政策に詳しく、その分野の政策立案に大きな影響力を持つ自民党の政治家たちをよく「~族」と表現します。
たとえば公共事業に対する影響力が強い「建設族」や「道路族」、医療行政や福祉などに影響力の強い「厚生族」、税制に対する影響力が強い「税制族」などの「族」があります。「族」に属する自民党の国会議員たちを「族議員」というわけです。
よく新聞などで「族」の影響力、「族」の激しい抵抗などと書かれる通り、「族」の影響力は強く、ほとんど政策立案の中心にいるような存在となっています。首相といえども、「族」の反対を買うような政策を立案、実行することは非常に難しいといわれています。
「族」が自民党政治に現れはじめたのは1960年代末から1970年代にかけてのことです。この時代までは、政策立案権はもっぱら官僚たちが握っていました。専門的知識に優れた官僚たちは、権力争いに明け暮れる政治家たちとは一線を画し、日本の経済復興と成長という唯一絶対の目標のもと、一致団結して政策立案に専念してきたのでした。
ところが先進国入りを果たすなどその目的が達成されはじめた1960年代の終わりごろから、官僚たちの一致団結が崩壊しはじめました。経済成長に代わる新たな共通目標を見出すことができない官僚たちは、やがて自分たちの省庁の利益、「なわばり」の確保をめざして争いはじめるようになります。
いっぽう高度経済成長の終わりは自民党政治にも危機をもたらしていました。公害や都市問題など成長の歪みが表面化しはじめ、それにつれて自民党への国民の支持も低下しはじめていたからです。
これに危機感を抱いた自民党の政治家たちは、自分の当選を有利にするため、自分の選挙区がかかえる有力団体・業界・企業などの利益を守ったり伸ばしてやる政策をつくり実行することによってかれらの支持を集めることにしました。このような政治手法はむずかしい言葉で「利益誘導型政治」といわれます。
このような手法を確実にするため、自民党の政治家たちは共通する利害関係を持つ議員どうしで集まりはじめ「族」を形成します。「族」は、自民党の「部会」「調査会」を根城に団結し、官僚たちに圧力をかけたり、または官僚たちを応援したりすることで、利益誘導の手法を実現していきました。
官僚たちもまた自分たちの省庁を応援してくれる「族」に頼り、その「なわばり」を広げようとするようになったため、「族」は日本の政治に欠かすことのできないシステムとして定着するようになったのです。
こうして、官僚や内閣が立案する政策に対する審査、監視、干渉をする権利を得ることになった「族」が、日本の政策立案権を握ることになったわけです。
次のページでは、各「族」の現状について、くわしくみていくことにしましょう。