【条約から50年、なぜまだ補償問題がこじれているのか?】
さっきから説明しているように、サンフランシスコ平和条約は当時の国際情勢の影響を受け、「日本をアメリカの同盟国とする」ことをねらって作られています。そのため、敗戦国にしては、日本はやや「甘い」も扱いをうけているむきがあります。
そのひとつが日本が戦争中に行ったことにかんする賠償や補償の問題です。条約では日本が支払うべき賠償について、かなりあいまいにしか定めらておらず、じっさいの賠償は日本が各国と個別に交渉し、決定されることになりました。
そしてアメリカなど主要各国は日本に対してほとんど賠償を要求せず、逆に日本を復興させるために次々と援助を行っていくことになりました。これが日本の経済発展に果たした役割はいうまでもありません。
しかし、このことはけっきょく日米同盟のために戦争被害者の救済をほとんど無視する、ということになってしまいました。そのため、いまだに「もと戦争捕虜(ほりょ)」や「もと従軍慰安婦」の人々が日本に補償を求め、運動や訴訟を起こしているようなことになっているわけです。
補償問題は日本・アメリカ両国とも「解決済み」としていますが、今後の世論の高まりによっては、なんらかの措置が必要になるかもしれません。
【どうなる、50年目からの日米同盟】
サンフランシスコ平和条約が「日米同盟の確立」をめざして作られたことは、日本に少なくない代償をもたらしましたが、反面、アメリカのバックアップを約束されたことで、日本にかつてない経済成長と今日の繁栄をもたらすことになりました。
しかし、平和条約が結ばれたときと今では、国際情勢は大きくかわっています。
ソ連は崩壊し、冷戦は終わりました。ロシアとアメリカは対立しつつも、経済的な関係を強化しつつあります。
朝鮮戦争で戦った韓国と北朝鮮は急速に和解をすすめています。中国も資本主義をとりいれ、アメリカや日本との経済関係を重視するようになっています。
こうしたなか、日米同盟はどうなっていくのでしょう。同盟関係がつづいていくことは間違いなのですが、問題は日本がアメリカに対してどうふるまっていくかです。
単なる「基地の提供国」は卒業したはずですが、でははたして日本はアメリカの「対等なパートナー」としてやっていけるのか。ここ数年、対等なパートナーとしてふるまおうとする日本の模索ぶりは、基地の返還交渉や地位協定見直し、さらには真紀子外相の「ミサイル構想批判」のようなものにみてとれます。
今後も、日本が日米同盟をどのように「利用」することができるのか、その模索がつづいていきそうです。
●サンフランシスコ平和条約締結50周年記念A50事業実行委員会 サンフランシスコ平和条約50周年記念につくられたホームページ。もうちょっとくわしい知識はここで。
●琉球政府の時代 アメリカ支配下の沖縄政治についての基礎知識がえられるページはこちら。
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