(2001年9月10日)

サンフランシスコ平和条約とは1951年9月8日、日本と第2次世界大戦(太平洋戦争)で戦った国々(連合国)のうちアメリカなど49カ国が、日本との戦争を終了させるために日本と結んだ講和条約のことです。

日本は第2次世界大戦で連合国に無条件降伏したときから、連合国軍によって占領されていましたが、この条約によってその占領は終了し、独立国として国際社会に復帰することになりました。

50年以上も前に結ばれたもはや歴史の一こまのような条約ですが、実は今もなお日本に大きな影響を与えています。その影響について解説してみましょう。

【平和条約は日米同盟の出発点】

この条約は連合国のリーダーであり、日本の占領を実質的にとりしきっていたアメリカの主導で作成されました。

そのアメリカの平和条約作成における基本方針は「日本とアメリカの同盟関係を確立する」こと。

その背景には、当時、資本主義国を代表するアメリカと、社会主義国を代表するソ連(今のロシア)の間で、戦後の世界をめぐるきびしい対立(冷戦)がはじまっていたことがあります。

この対立はアジアで朝鮮戦争(1950~53)を引き起こします。アメリカが支援する韓国と、社会主義国である北朝鮮が、朝鮮半島をめぐって戦争をはじめたのです。

また1949年には中国を共産党が(台湾を除いて)統一し、社会主義国の仲間入りをしました。中国はさっそく朝鮮戦争で北朝鮮を支援するかたちで参加、アメリカ軍を苦しめたのです。

このようにアメリカにとってはきびしい東アジア情勢だったわけで、アメリカとしては社会主義国をもうこれ以上増やすことはできません。

そこで、アメリカは日本をアメリカの強力な同盟国にしたてあげ、支援していくことが必要になったわけです。

しかし日本は戦争に負けて軍隊が解散してしまったので、かわりに占領終了後もひきつづきアメリカ軍が日本に駐留し、日本の防衛を「肩代わり」しなければなりませんでした。

そのため平和条約の第6条で日本での外国軍隊の駐留を認め、これをもとにして、日米両国はアメリカ軍の占領後の日本駐留を定めた「日米安全保障条約」をサンフランシスコ平和条約締結の直後に締結します。

これによってアメリカ軍は日本の基地にひきつづき駐留することになり、日米の緊密な同盟関係が確立されたわけです。

しかしこのことはソ連を中心とする社会主義諸国の反発を招き、ソ連はこの条約に参加しないことになりました。現在でも日本とロシアの間にサンフランシスコ平和条約にかわる平和条約は結ばれていません。

※中国は1949年にできた「中華人民共和国」の政府だけでなく、台湾の政府も条約作成の会議によばれませんでした。しかし台湾政府とは1952年に、中国政府とは1978年にそれぞれ平和条約を結んでいます(台湾政府との条約は1972年に破棄)。