【1990年代の日本政治は参議院の時代だった?】
消費税導入とリクルート事件で政治不信が高まっていた1989年の参議院選挙(「マドンナ旋風」が吹き荒れて社会党が大勝)で自民党が大敗して以来、自民党の参議院での議席が過半数割れした状態が今まで続いてきました。
特に1993~94年の1時期を除いて自民党は政権を担当しながら参議院で過半数をとることができていません。このことは新聞などでよく「ねじれ現象」といわれています。
なぜ参議院で自民党の議席が少ないのか。1つには先ほども書いたとおり参議院は議員の半分づつ選挙するため、1度大負けすると取りかえすのに非常に時間がかかること。2つ目の理由としては、政権交代に直接関わらないため、現状維持をのぞむ人々も参議院選挙では自民党への批判票を投じやすいということ。このような理由があると思われます。
さて前のページでも触れた通り、普通の法律案は衆参両院で可決されないと法律になることができませんから、ねじれ現象は、政権をになう自民党がその政策を実行する上で大きな障害となります。
そこで自民党は1989年の参議院選挙以降、いろいろな政党との連携を試みるようになります。それは1994~96年の社会党との連立政権、1999年以降の公明党との連立政権誕生へとつながっていったのです。
またそのような流れの中で、かつては「衆議院のコピー」「いらない」とまでいわれた参議院の議員の力、発言力も増してきました。もはや彼らの働きなくして、自民党の政策を実行することができないのですから。
2000年に小渕首相(当時)が倒れた時、密室で「五人組」が集まって「森首相」を決めたということ、覚えてますか。この五人組のうち2人は参議院議員でした(青木官房長官(当時)、村上自民党参議院議員会会長(当時))。このようなことはかつては考えられないことで、いかに参議院議員の発言力が増しているかが伺えます。
このように、政権交代に関係のない参議院選挙であっても、その結果は政界に小さくない影響を与えています。ひとりひとりの一票が時代を動かす。みなさんも悔いのないよう、積極的に投票しましょう!
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