本文はいきなり「“ほんもの”とは何か?」で始まります。白洲正子は東京の郊外、鶴川に長年(1942~2001年没まで)茅葺き屋根の古い農家を改造し、居を構えていました。そこには、自然と共に季節の移り変わりを愛でる姿と、好きなものに囲まれた“ほんもの”の生活が浮き彫りにされています。
白洲正子はどの部屋にも花は欠かさなかったといいます。「美しい花があって、しっかりした器があって、それに似合った空間があってこそ、花そのものも生きてくるのよ」。庭に咲く花を摘み取り、活ける際には“器”がこういうふうに活けてくださいと語りかけてくれるといいます。数々の活け花の写真は、ドキッとするほど繊細なもの、可愛らしいもの、大胆で優雅なものとさまざまで、草花の息づかいが聞こえてくるようです。
どうしたら“もの”がわかるか、の質問には、「博物館で眺めていてはダメ、身銭を切って買い、そのものと長い間付き合うと陶器や骨董から教えられることが多い」そんな言葉にも現れているように、いいものはしまっておかないで使い、手の感触、口にあてた感じが大事、恋人を愛するように五感で付き合って楽しむなどと、骨董に対する思いが書かれています。
この他にも、愛用の椅子やテーブルのこと、きもの美については、能の舞台着から着物の揃え方、「衣更え」から「辻が花」までたくさんのページが使われています。食通の彼女が好んだ、おいしそうな洋食のレシピと写真、食事を作ることがなかったものの、「いただきます」と言ってからでも器を替えさせるほどだったというエピソードなどは、“食べ物と器”にいかにこだわったかを彷彿させます。
明治43年に華族の子として生まれ、コンドルが設計した洋館に住み、14歳で渡米し18歳で帰国、白洲次郎と結婚。能をたしなみ古典文学に通じ、骨董を愛し様々な文化人、工芸家、(小林秀雄や青山次郎、三宅一生から川瀬敏郎までに及ぶ多数)との交流から生まれた“美”にたいする意識は、当代一の目利き“ほんもの”を知る唯一の人と称えられました。
ほんとうに美しいものを求めてどん欲に生きた姿に共鳴し、明治女の凛とした姿に感動を覚えてみませんか!
お気に召しましたら、ぜひ「白洲正子・美の種まくひと」を続いて紐解くことをお薦めします。正子が住んだ旧白洲邸「武相荘」は記念館として公開されています。