あの甘さが新潟にも!
ジョージア・マックスコーヒーといえば、千葉県・茨城県・栃木県を営業エリアとする利根コカ・コーラボトリング限定の缶コーヒーです。加糖練乳を使っており、超甘コーヒーとしても有名です。撮影地:新潟市笹口(新潟駅南) |
マックスコーヒーの歴史をたどる
では、マックスコーヒーの歴史をたどってみましょう。利根コカ・コーラのサイトにマックスコーヒーの歴史がありますが、1975年(昭和50年)に関連会社の利根ソフトドリンクが販売したのがはじまりです。波線のデザインは同社製品共通のデザインになっています。利根ソフトドリンク製品 |
マックスコーヒーは1991年(平成3年)からジョージアブランドに組み込まれました。私は発売直後、船橋のそごうで発見いたしました。その後、パッケージ変更が何回か行われましたが、特徴の波線デザインは変わっていませんね。
2代目から4代目 |
2000年のリニューアルで波線デザインが消えてしまいました。マックスコーヒー愛好者からは残念という声もありました。
4代目と5代目 |
どうして営業エリア以外で販売された?
では、どうして利根コカ・コーラ以外のボトラーでも販売されるようになったのでしょうか。かつてコカ・コーラはかつて北海道・みちのく・仙台・利根・三国・東京・富士・長野・北陸・中京・三笠・近畿・山陽・四国・南九州・北九州・沖縄と地域ごとに17のボトラーに分け、各ボトラーで販売する商品はボトラーの持つ工場で製造するという『地域主義』をとっていました。これは地域の経済や雇用に貢献するためといわれています。ところが、経済事情が変化し、地域ごとの製造ではコストの面でライバル会社と比べ不利になってきました。そこでボトラーの中には合併するボトラーもいくつか出てきました。富士コカと中京コカが『コカ・コーラセントラルジャパン』に、山陽コカと北九州コカが『コカ・コーラウエストジャパン』、北陸コカが子会社の長野コカを吸収するなどの変化がありました。
コカ・コーラボトラーの主要株主は三菱系企業が多いのですが、首都圏のボトラーは利根コカがキッコーマン、東京コカが丸仁(『日本のコカ・コーラの父』といわれた高梨仁三郎が作った会社)、三国コカは三井物産と資本関係がバラバラです。そこで、この3ボトラーは製造部門の統合を図りました。これでお解かりかと思いますが、マックスコーヒーが利根コカ以外のボトラーで販売される伏線になったのです。缶コーヒーは甘さを求める人も多いこと、地域限定缶コーヒーといいながらも、販売エリア以外での知名度も高い、東京コカと三国コカにしてみれば、新たな商品開発をせずに新製品を投入できるメリットがあることから、利根コカ以外での販売につながったのでしょう。
千葉に行かなくともマックスコーヒーを購入できるのはうれしいのですが、逆に知らない人に「千葉にこんなジョージアがあるんだけど知ってた?」と言って自慢することができなくなったのがチョト残念であります。