なぜ神田神保町はカレーの街なのか!?

1
この日、JR水道橋駅をスタートすることにした。午後5時15分。
神田神保町は古書店の街としてつとに有名だが、カレーの街でもある。なぜ、神田神保町がカレーの街といわれるのかといえば、カレー専門店、洋食屋、喫茶店などカレーを出す店が多いからである。なぜ多いのか……。真偽のほどは定かではないのだが、本を読みながら食事をする場合、カレーだと片手に本、片手にスプーンという具合に食べやすいからだという説がある。
僕も上京してすぐにここ神田神保町の古書店をのぞき、カレーを食べた記憶がある。
その店がどこだったのか思い出してみた。
たぶん、靖国通り沿いあった「ボーイズカレー」だったはずだ。
最初に僕が住んだ街が荻窪で、総武線に乗って水道橋まできて、そこから神保町まで歩いた。書店をまわって、ここ「ボーイズカレー」でカレーを食べたのを覚えている。
ずいぶんと通ったはずだ。たぶん安かったということもあるだろうし、気軽に入れて、サッと食べることができたからだろう。
今でいえば、カレースタンドに分類されるのかもしれない。
カレースタンドというのは、たいていがカウンター席のみで、基本のカレーソースは1種類。
カレーの上にハンバーグだったりカツなどを乗せるという形でメニューのバリエーションをつけている。かつて僕はこのタイプのカレーが大好きだった。
時代は80年代の半ばくらいで、世の中はちょっとしたカレーブームだった。「ボルツ」などの辛いカレー屋で何倍カレーを食べたとかいうように自慢する風潮があった。
僕も辛いカレーにチャレンジしたけれど、自分には向いていないと思い、やはりカレースタンドに通った。

神田すずらん通りの「キッチン南海」

1
今もすずらん通りにはカレーと揚げたカツのニオイがするような気がする。
上京してから1年後、僕は神田神保にある編集プロダクションで働くことになった。それでやはり神保町でよくカレーを食べた。とくに通ったのがすずらん通りにある「キッチン南海」である。いまはきれいに改装されているが、当時すでに歴史のある洋食屋という年季の入った店舗であった。僕はここの「串カツカレー」をよく食べた。残念ながら今はメニューにはないのだけれど、たしか当時は550円であった記憶がある。カツカレーよりは少し安かった。
今もカウンターから厨房が見えるが、それは当時も同じで、
揚げたての串カツをご飯の上に乗せ、ここにカレーをかけると「ジュッ」という音が聞こえた。
これを聞くとがぜん食欲が湧いてきたものだ。
なにより揚げ物がおいしかった。
スタンドカレーの店というのは、当時のことだがたいていはすでに揚げてあるものをご飯の上に乗せてその上からカレーソースをかけていた。
しかし、ここは揚げたてである。
だから通ったのだと思う。

カレー通りと呼ばれる「錦華通り」

1
神保町のカレーマップの中でも重要な位置占める「錦華通り」。
いまこの錦華通りは、神田神保町の中にあってもいまいちばん熱いカレーストリートではないだろうか。「メーヤウ」があり、その前には「パンチマハル」がある。しばらく行くと「インドカレーカーマ」もある。
僕自身のカレー体験でいえば、90年代はインドカレーとの出会いであった。
それまで、欧風カレーというか、洋食屋さんのカレーやスタンド系のカレーを好んで食べていたのだけれど、本格派はインドだというわけで、いくつかのお店に行った。
最初はなじめなかったインド風のカレーも徐々においしいと思えるようになってきたのだが、この店でなきゃと通うほどのお店はなかった。
で、90年代の後半。僕としては30代の終わりというか、ちょうど40歳くらいだったか、「メーヤウ」に出会った。
知人に連れて行ってもらったのが信濃町にある本店で、ここのタイ風カレーというのに僕ははまった。
翌日には1人で食べに行ったほどだ。
当時は四谷に住んでいたので、よく通った。
その後、早稲田に引っ越したのだが、その早稲田にも「メーヤウ」があり、やはりよく行った。
神保町店にはまだいちども足を運んでいないのだが、ぜひ行ってみたい。

さあ、次ページで
神保町にあるカレー屋さんをめぐる

続きです。