天沼陸橋への階段

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この階段を上って、北口までよく行っていた。
僕が最初に住んだのは荻窪の本天沼というところだった。1982年のことだ。それから東中野に引っ越し、3年後に荻窪に戻ってきたのはバブルより少し前のことだったか。ますます荻窪ラーメンはヒートアップしていた。
僕が住んだのは、丸長の先にある古いマンションだったのだ。
お昼どきなどはちょっとこの階段をのぼって、北口方面までラーメンを食べに行ったものだ。
懐かしい階段が今もそこにあって、なんだか僕は感激で胸がいっぱいになってしまった。


つわものどもが夢のあと

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区画整理で立ち退いてしまったが、ここに「丸福」があった。
「春木屋」はかつての場所にそのままあったが、「丸福」はすでになかった。
区画整理で立ち退いてしまったのだ。
そういえば、「佐久信」というラーメン店があったのを思い出した。
ちょうどこの区画だ。当時、「丸福」と「春木屋」という行列のできるラーメン店の間にあり、本当に嘘のように客のいないラーメン店であった。
その「佐久信」をてこ入れしようというテレビ番組があった。たしかコピーライターの糸井重里がキャッチコピーを考えたり、ラーメンの達人たちが新メニューを考えたりして、リニューアルしたのだ。そのため「佐久信」もあっという間に行列店になった。そういえば、僕も何度か食べに行ったなぁ。
今はなにもないただの道路になっている場所を見ながら、最初に友人に連れられてきた「丸福」のことやテレビ番組後、一番長い行列を作っていた「佐久信」のことを思い出していた。


今も残る「丸福」の暖簾

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ここが「丸福」の暖簾を掲げた店。
実は、「丸福」はかつて店が2軒あった。老舗ともいえる「丸福」のほうは、先ほどの写真でもわかるとおり、道路になってしまった。
同じ「丸福」の暖簾をかける店がもう一軒あって、同じようなメニューで同じような味を出していた。
いつ頃かはよく覚えていないが、たぶん僕が荻窪にいた頃にできた店だ。
もちろん、最初からあるほうがおいしいという評判だったが、新しくできた「丸福」もなかなかで、並ぶのがいやなときなどはこちらにきていた。
その別の「丸福」は今もあった。
昼前ということもあって、まだ暖簾はかかっていない。
僕たちはここへ行くことに決めて、いったん四面道方面まで歩いた。
四面道というのは、青梅街道と環八が交差するところだ。
たしかこちらに「春木屋」の本店か「丸信」の本店があったような気がしたのだが、探せなかった。
それにしても青梅街道沿いの商店街もずいぶん変わった。古い商店が消え、今風のビルに建て直しが進んでいるようだ。
再び駅前に戻ってくると、「丸福」に暖簾がかかっていた。


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