旧街道を歩いてみる
今風の寺院になった竜泉寺。 |
と、竜泉寺へ行く道で、これは旧街道ではないかと感じた。
昔ながらのいい道である。車がすれ違うのは少し大変そうだが、昔にすれば太い道ではなかったろうか。
竜泉寺は山頭火の時代の面影は全く残ってはいなかった。今は近代的な寺に建て替えられている。
山頭火の「風来居」があったのはどのへんかしらとのぞいてみたが、よくわからなかった。
さらに旧街道を歩いていく。
昔を偲ぶ袖解橋(そでときばし)
新山口駅に降り立つと、其中庵(ごちゅうあん)までの地図がある。 |
瀬戸内海から山口に通じるこの街道は、御上使道(ごじょうしみち)と呼ばれ、多くの侍たちが通った。ここまでは、狩衣(かりぎぬ)、直垂(ひたたれ)といった衣装の袖をくくった旅装だったが、この橋までくると結んでいた袖を解いて、身づくろいをして山口に入ったそうだ。
なんだか、昔の様子のわかる橋の名前である。
ちなみにいまは橋はなく、川もあるのかどうかわからないような状態だ。
山口市街、そして山口駅へ
日は暮れつつあり、急ぎ足で山口市内へ! |
幕末の長州藩は倒幕へ一枚岩というわけではなく、藩論も二転三転しながら激しい主導権争いが行われていた。そんななか、井上は反対派から闇討ちに遭い、瀕死の重傷を負うのである。ちょうど、山口藩庁から自宅へ帰る途中であった。
夜であった。高田公園の場所が自宅のあった場所である。妙に生々しいかんじがした。
井上馨は、九死に一生を得て、幕末は長州藩士として、維新後は明治政府で活躍することになる。
そんな歴史の街道を進むと日は暮れかかっている。
僕は急いで山口市街地へ向かった。商店街がアーケードになる。てっきり山口駅はそこからつながっていると思ったが、そうではなかった。駅は市街地から少し離れたところにある。ああ、なるほど昔ながらの町というのは、すでに町の形ができあがっていたから、新しくできた鉄道は離れた場所に作られたのだ。湯田温泉駅もそうであった。
そんなことを考えながら、この日の散歩を終えた。
<関連リンク>
山口線 - Wikipedia
中原中也記念館
種田山頭火 - Wikipedia
井上馨 - Wikipedia
湯田温泉(山口市)