中原中也が息子を連れて登った権現山へ
権現山の登り口がわからず、とりあえず子供用の自転車が止めてある場所から登ってみることにした。 |
小学生のときは、かわいかっていた弟が死に、10代から同棲した女性は友人の元に去り、結婚して子供が生まれたら、その子供がたった2歳でこの世を去ってしまったのだ。
生まれたばかりの自分の息子を肩車してよく登っていたという権現山に僕も登ろう。
市中にこんもりした丘のようなところがある。たぶん、ここが権現山だろう。しかし、どこから登ればいいのだろうか。周囲を回ったがわからない。
ちょうど子供の自転車が2台置かれているところから細い道があったので、そこから登ることにした。
山の中の子供に道を教えられる
「こっちです」と子供に教えられた神社への道。わずかだが、急な坂道だ。 |
そこで、2人の男の子がなにやら作業をしている。家の手伝いだろうか、よくわからない。1人の男の子が「あ、人だ」とこちらを見て言った。
怪しまれてはいけないと思い、
「たしか、このあたりに神社はなかったですか?」
そう尋ねた。権現山の上には熊野神社があったはずだ。
もう一人の男の子が、持っていた竹を放り投げて、こちらに走ってくる。それから僕の前を通り過ぎ、少し上へ走り、そこで止まった。そして、僕の方へ向き、指さしながら、
「神社はこっちです」
と言った。快活ないい子である。僕は礼を言い、子供が指さした方向へ歩いた。
熊野神社で初詣をする
これが本来の権現山への登り口である。 |
ここの境内からは湯田温泉の町が一望できる。
中也も子供を肩車して、この景色を見たのだろうか。
下までおりてみると鳥居があり、ああ、ここから入ればよかったのかと気づく。