散歩/昭和を振り返る散歩ルート

荷風が愛した浅草から墨東、寺島を歩く(4ページ目)

文豪、永井荷風が愛した浅草から、隅田川を渡り、その東側である墨東地区を歩く。小説、随筆、日記文学の舞台である「玉の井」(現、東向島)を訪ねてみた。

増田 剛己

執筆者:増田 剛己

散歩ガイド

旧玉ノ井駅「東向島駅」に到達

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かつてこの駅は「玉ノ井」であった「東向島駅」。今は東武博物館も併設されている。
鳩の街通りを抜けると高速道路に当たる。そこを左にまっすぐう行けば、地蔵坂通りになる。「地蔵坂」は随筆「寺じまの記」にも登場する。
この一帯も実におもしろそうな商店街なのだが、今回は先をいそぐため、じっくりは見ず、住宅街を北上することにする。
次ぎに大きな通りに出る。それが明治通りだ。
ここに向島百花園がある。明治通りをわたるとその先に東武伊勢崎線「東向島駅」がある。おお、やっとたどりついた。駅の看板を見ると、
「東向島駅(旧玉ノ井駅)」となっている。
ここが玉の井である。線路沿いに北に行くと、「玉の井いろは通り」の入り口となる。

「玉の井いろは通り」を歩く

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かつては「ぬけられます」の文字があった「玉の井いろは通り」
いよいよ「墨東綺譚」の現場である。この小説は、けっこう複雑である。主人公は、荷風本人を思わせる大江匡という58歳の人物。彼は、小説の題材を探しにこの「玉の井」にやってくる。それで、思いついた小説というのが、これまた同じように大江匡本人を思わせるような種田順平という人物を主人公にしたものというものだ。
そんな小説を考えながら、大江匡はこの玉の井でお雪という若い女性と出会い、その情交が綴られていくのである。
小説、随筆、日記の3点を読み比べてみると虚虚実実のおもしろさがある。
実際、日記である「断腸亭日乗」には、かなり生々しく玉の井の様子が書かれている。
かつて私娼窟であり、どぶ川沿いに多くの二階建ての家が並んでいたという面影はまったくない。ごく普通の商店街だ。
少し歩いたところにスーパーがあり、横の路地を入っていくとお稲荷様の鳥居がある。
ここに永井荷風の「墨東綺譚」の説明書きがあった。

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荷風が「断腸亭日乗」に残した玉の井の精緻な地図
説明書きの中には、荷風自身が調べて書いた玉の井の地図が載っている。これを見ると荷風が歩き、人々に聞きながらこの地図を作成したかがよくわかる。
しかし、小説「墨東綺譚」には、この地図が必要だろうと思われる箇所はない。ただ、こうして地図を作ることで、歩きながら小説の構想を練っていたのではないだろうか。
随筆「寺じまの記」では、玉の井をつぶさに観察している様子が描かれている。
「街の名はやっぱり寺嶋町(てらじままち)か。」
「そう。七丁目だよ。~」
という会話を娼婦と交わしている。
また、玉の井から出て、ちょうど昭和11年に廃線となった線路あとなどを見て、今度は改正道路(今の水戸街道)まで出て、乗合自動車で浅草まで向かっているのだ。
荷風の時代にもいろいろなものが変わったが、今日も同じように町並みは変わる。ただ、道だけはかわらなかった。そかし、それも最近の再開発では道そのものがなくなることが多い。僕はそれらがなくなる前にできるだけいろいろな街を歩いてみたいと思っている。


<関連リンク>
永井荷風 - Wikipedia
ぼく東綺譚 - Wikipedia
こぐまは鳩の街通り商店街の古い木造長屋のカフェ
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