巨大な鳥居と大村益次郎のいる靖国神社
靖国神社の大鳥居。ここまで大きいと言葉も出ない |
東京にはいくつも富士見坂がある。高いビルのない江戸時代はちょっとした高台から富士山や江戸湾が見えたのだそうだ。
坂を登ってみる。もちろん、この日は天気がいいが、富士山は見えない。この坂を登ると、ちょうど靖国神社の横に出る。靖国神社の正面は地下鉄東西線の九段下駅から行くと、大きな鳥居があって、そこが正面となる。というわけで、僕たちはいったん、正面玄関の鳥居まで戻る。それにしても広い。この日は、12月の29日で初詣に出される露店の準備などをする人たちがいた。
大鳥居は本当に大きい。政治的にはいろいろな意味合いのある靖国神社だけれど、僕自身の思い出はとても身近なものである。親戚がここに祭られているとかそういうことではなくて、子供の頃の思い出である。
山口県の実家の近所には招魂場と呼ばれる広場があって、そこで子供の頃はよく遊んだものだ。高校くらいの時に行ってみると、広場の隅には戊辰戦争からの第二次大戦までの戦没者の碑が並んでいた。
かつて靖国神社は東京招魂社と呼ばれていた。あちらこちらにある招魂場の総本山のような場所だったのである。だから神社としては新しい。明治になってからできたものだ。
大村益次郎像。明治政府の軍制の基礎を作った |
大村益次郎の銅像は高い位置にあり、顔もよく見えない。そのまままっすぐ進むと第二鳥居がある。その先が本殿だ。お参りをして、ふたたび元きた方向に戻る。
左手に休憩所がある。四谷に住んでいるとき、靖国神社は神田神保町に行くときの通り道であった。そのときによくこの休憩所で甘酒を飲んだものだ。そんなわけで、この日も甘酒。300円。Nくんは焼きそばを注文。少しもらったが、これがうまい。