松井稼頭央、古巣ロッキーズへ移籍
鳴り物入りで入団したメッツではブーイングにも悩まされた |
アストロズを解雇されたのは、チームが期待するような成績を残せなかったことが最大の要因。昨年2009年は日米通算2000安打は達成したが、打率はメジャー自己最低の2割5分に終わった。3年契約最終年の今季も27試合の出場にとどまり、打率は1割4分1厘。解雇された日まで21打席連続無安打と不振を極めていた。昨年まで控えだったケッピンジャーの台頭もあり、エド・ウェードGMは保有権を放棄することを決断したのである。結局、古巣であるロッキーズに移籍先が決まった。
ここで、この松井稼が2006年、メッツからロッキーズへ移籍して成功(復活?)した理由が必要となる。大都会ニューヨークの水が合わず、田舎町のコロラド州デンバーの空気が合っていたこともあるが、ひとつの成功法則を発見したことが大きかった。それは生涯初めて日記(練習日誌)をつけるようになったことである。
「日々の練習や試合で見つかった課題を書き留めるようにしたんです。完璧なんて言葉はないと思っていますし、失敗しては課題が見つかる。その課題に出合った時、よし、やってやるぞという楽しい気持ちになれます。常にいくつかの課題に全力で取り組んでいく自分でいたいと思うようになりました」
課題があるというのは、もっとうまくなれるということ。松井稼は課題を書き記すことによって明確にし、集中して取り組むことで成功への扉を開いたのである。