松井秀喜、苦節7年の末、ワールドシリーズMVPに
「不要論」も出た松井秀喜だが、結果で見事その声を払拭することになった |
「今はもう最高。それだけです。信じられない。感無量です。この日のために1年間頑張ってきたわけですから。何年もここにいたが、初めてここまで来られて最高。家族に一番感謝している」
「最高」という言葉にこれ以上ない実感がこもる。ヤンキースに入団した2003年、いきなりワールドシリーズ出場を果たしたが、マーリンズに世界一は阻まれた。その後、毎年のように有力候補に挙げられながら、夢舞台には上がれなかった。その間、井口(ホワイトソックス、フィリーズ)、田口(カージナルス、フィリーズ)、松坂と岡島(レッドソックス)に先を越された。悔しさは言葉にできない。それだけに「最高」は文字通り「最高」なのだ。
ジラルディ監督の英断もMVPの一因
ワールドシリーズMVPを「自分でもビックリだし、夢みたい」と松井秀は振り返る。全6試合でフル出場は半分の3試合のみ。あとの3試合は代打での3打席だけ。しかし、その3打席で本塁打とタイムリーを放つ3打数2安打1打点だ。第6戦の6打点と同じくらいにこの代打での3打席が評価されてのMVPだが、これはジラルディ監督のファインプレーともいえるだろう。右ひざに続いて左ひざも手術して迎えた2009年シーズン、序盤はひざの痛みもあり、思うような働きはできなかったが、気温の上昇とともに打撃は向上し、結局、打率.274、28本塁打、90打点の好成績を残した。このシーズンの中でジラルディ監督は1度も松井秀を守備に就かせなかった。ひざに問題がなくなり、激走しても大丈夫になったにも関わらず、出場はDHか代打で「左翼」は1試合も守らせなかった。
この英断が、松井秀の打席での集中力をさらに高めた。完璧に「打つ」ことのみに集中できたのである。それがワールドシリーズでの代打の3打席にもつながったのである。