再び1リーグ時代へ
2003年、このままではリーグ存続が立ち行かなくなると考えた両リーグは、それまでの冷戦期間を経てようやく大同合一に至る。中華リーグの4チームはそのまま、台湾リーグは中華リーグとの釣り合いを取るために4チームを2チームに縮小し、中華リーグに合流することになったのだ。
かくして、再び中華リーグの1リーグ6チーム時代が訪れた。この方式が台湾では最もフィットすると思われ、遠のいていた客足も徐々に回復してきた。やはり1リーグ4チームよりも6チームの方がいいのは、誰から見ても明らかだった。2リーグを引き裂いていたベルリンの壁は崩壊し、再び台湾国技とも言えるプロ野球の組織がスムースに運営されるようになったのだ。
八百長事件の再発
しかし、再び事件は起こってしまった。2005年7月、あるチームの二軍選手とコーチが逮捕されたことを皮切りに、次々と選手・関係者が事情聴取されることになった。二度目の八百長騒動である。今回も、全球団にまたがって八百長に関係した選手がいると噂された。
2005年シーズンはまれに見る激戦の中で終了したが、シーズン終盤にはあるチームの主力外国人選手が急な薬物死を遂げている。八百長との因果関係は不明だが、以前の事件を思い起こしてしまったのは私だけではないだろう。
そして、この八百長騒ぎが影響したか、1リーグ復帰以降盛り上がりを回復していた観客動員も、2006年シーズンには再び減少に転じるのである。熱しやすく冷めやすいのが台湾の国民性ではあるが、どんなことがあっても野球を支持するという層がまだ完全に根付いていないため、観客は日本などと比較すると、うつろいやすい傾向があると言えるだろう。
ここまでが、台湾プロ野球界を巡る八百長事件の概要だ。次に、八百長の温床はどこにあるか、そしてどういう選手が八百長に手を染めていくのかを述べてゆきたい。