メキシコオリンピック銅メダル!
1968年のメキシコオリンピックは日本サッカーが、世界を驚かした3度目の出来事となった。エースストライカー釜本選手を擁し、銅メダルを獲得したのだった。予選で最大の関門・韓国と引き分け、得失点差で出場権を獲得した。
日本が入った1次リーグB組は、スペイン、ブラジル、ナイジェリアと同居した。銅メダルへの道は奇しくも4年前のアルゼンチン戦と同じ10月14日のナイジェリア戦からスタートしたのだった。この試合を釜本選手のハットトリックで3-1と勝利し、ブラジルと1-1で引き分け、さらにスペインとも0-0で引き分け、B組2位で決勝トーナメントに進出した。
準々決勝の対戦相手はフランス。これを3-1と勝ち、ベスト4に進出したが準決勝で金メダルのハンガリーに敗退し、3位決定戦に回った。銅メダルかけた戦いは10月24日。相手は地元メキシコ、会場はアステカスタジアム。試合は2-0と日本が勝ち、アジア勢最初で最後のメダルを獲得した。
日本サッカー低迷期へ
1972年のミュンヘンオリンピック予選はマレーシアに敗れ敗退。そこから日本サッカーは冬の時代に突入する。76年モントリオールオリンピック予選は、イスラエルに出場権を奪われる。80年のモスクワオリンピックもマレーシアがアジア代表を獲得した。
さらに84年ロサンゼルスオリンピック、88年ソウルオリンピックとも敗れる。そして92年のバルセロナから、オリンピックでのサッカーは23歳以下の大会となる。それでも日本は出場する事が出来なかった。再び、日本がオリンピックに出場するのは、96年アトランタオリンピックまで28年を待たねばならなかった。
28年ぶり出場と「マイアミの奇跡」
93年、Jリーグの開幕と「ドーハの悲劇」を経験した日本は、着実に強化されていた。そして前園・城・川口選手らを主力として28年ぶりに出場権を獲得した。1996年7月21日、オリンピック1次リーグの緒戦、場所はマイアミ・オレンジボールスタジアムで奇跡は起こった。優勝候補ブラジルを1-0で破る大金星。この後ナイジェリアに敗れ、ハンガリーに勝ち、2勝1敗としたものの得失点差で、残念ながら決勝トーナメント進出はならなかったが、日本サッカー史の1ページを飾る出来事となった。
■アトランタオリンピック
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