あまたの橋の架かる町、眠るように流れる川。川の流れに運ばれゆく、少年ポーの物語『ポーの話』・いしいしんじ(著) ・価格:1890円(税込)この本を買いたい!■母なるうなぎ女のもとを離れて、泥の川の流れにのせて、運ばれる少年ポー。眠る川は、暴れる川は、彼をどこに運ぶ? 『ぶらんこ乗り』『プラネタリウムのふたご』などで、新世代の物語作家として注目されている一人である、いしいしんじの2年ぶりの書き下ろし長編。 大きな川が貫く、ある世界。あまたの橋か架かる町。眠るように流れる泥の川。太古から岸辺に住みつく「うなぎ女」たちを母として、ポーは生まれた。うなぎ女たちは、幼子であるポーに熱心に語りかける、あいまいないいまわしはほとんどなく、うなり声の底に間違えないようのない激しい意味だけを含ませて。――かあさんたちの命は、いつだっておまえのしあわせとともにある 泥の川をあたかもうなぎのように行き来できる能力を持つポーは、やがて、独りで、川を下り、電車の運転手であり稀代の盗人「メリーゴーランド」、その妹「ひまし油」と出合う。人が大切にしているものを盗む「メリーゴーランド」。それは例えば、写真。そして、猿にバナナをやることで「つぐない」をするという「メリーゴーランド」。ポーも、彼らとともに、「つみ」と「つぐない」の間を行き来するようになる。だが、ある夏、五百年ぶりの土砂降りが町を襲い、彼らとも決別したポーは、泥の川の流れに乗って、世界を漂い、さまざまな存在たちと出合う。 天気を映す鏡を持つ天気売り、漁師であり、犬に「こども」と名づけている犬じじ、鳩厩舎のダンナと奥さん、寂れた漁村に住み着く老人たち。そして、海底の娘たち・・・ うなぎ女たちの息子・ポーは、彼らとの出会いによって、「人」となっていくが、やがて・・・ いしいしんじの作品は、この作品に限らず、こういう形でご紹介するのが、とても難しい。なぜなら・・・■著者が、「現代の宮澤賢治」と呼ばれるわけは? 要約を許さぬ、独特の物語世界 作品に込められているいくつかのメッセージを要約してしまうと、基本的に、とてもシンプル、言い換えると、陳腐なものになってしまう。(もちろん、私の筆力不足もあるのだが) 罪と償い。生き続けるということと、生を超えて残るもののこと。幸せということ。命が命をいつくしむということ。他の命とつながるということ・・・ だが、こういう決まり文句で、この作品を語るのは、とても、とても、もったいない。著者は、現在の宮澤賢治とも評されているが、宮澤賢治の作品の魅力は、そこに込められた寓意ではなく、作品の中に流れる独自の時間に身を置けることの幸福だろう。 いしいしんじも同様である。この作品も、おそらく、要約を寄せ付けない。 不思議な世界に生きる不思議な存在たちが生きる不思議な時間。本のページを繰るあいだ、読者は、その世界とその時間にその身を置くことができる。 同作で、きわめて本能的なる存在として生まれたポーは、生命の哲学とでもいうものを体感していく。著者の伝えようとするメッセージに流れ着くために、主人公のポーがかなり恣意的に動かされている感もある。その点が、物語性を削いでいるという批評もできるのだろうとは思うが、そういう少々意地悪な視点で読み進めてもなお、気がつけば、ポーとともに、世界を漂流している自分に気づくのである。 そして、最後のページを読み終わった時、この世界は、きっと、目に見えない「何か」で満たされていると、そして、それらに、自分自身もつながっているのだと、そんな「感じ」に、ぼんやりと、ここちよく、包まれる。小説は、物語は、何を書くべきか、ではなく、どう書くべきか、なのだろうなぁ・・・。 言葉足らずでごめんなさい。どうか、とにかく、読んでみてください。この本を買いたい!◆心の中にあるピュアな「子ども心」にも働きかけてくる同作。たまには、絵本や児童書で、大人をしばしお休みするのも・・・。情報チェックは、「子どもと一緒に本を楽しむ」で。これからますます、注目されそう、著者の日常やスタンスをうかがい知れるページをピックアップ長野県在住、いしいしんじの日々の暮らしがわかります『いしいしんじのごはん日記』は、ほぼ毎日更新。児童文学者として名高いエーリッヒ・ケストナーの名作『飛ぶ教室』復刻に関して寄稿している著者。彼の文学体験の原風景を知るためには、ケストナーの作品などがわかる『こどもの本棚へようこそ』をチェック【編集部おすすめの購入サイト】Amazonで小説をチェック!楽天市場で書籍をチェック!※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。