■哀しみに襲われても、普段通りに流れる時間。図太く、健やかに、世界を肯定する
なんでやられるかなぁと、その理由を考えるに、この著者が、この家族に起こった深刻な出来事に酔っていないからだろうと思う。
それを象徴する存在が、タイトルとなっている、愛犬サクラだ。彼女は、激烈な体験を通過する家族の傍らに、いつも同じ不細工な容姿で、多分にマヌケな所作のまま、ただ、存在する。ギリギリの崖っぷちにいる家族たちの気持ちを映す形で、何かの変化をきたすこともなく、ただ、いつもどおり、そこにいる。
そう、現実って、そういうものなんだよね。イヤなことが起こっても、映画みたいに、世界は暗転したりしない。誰かを、何かを失くしても、世の営みは、変わらない。ちょっと目を上げると、外界の時間は、普段どおり流れている。
著者は、その象徴として、サクラという犬を描いているように思える。だから、サクラという犬の存在は、ある意味、とても無情でもある。だが、その無情な存在であるサクラが、その変わらなさゆえに、ラストに小さな奇跡をおこすのだ。
この作品には、図太く、生を、世界を、肯定しようとする、著者の意志が込められているように思える。
図太い涙腺の持ち主の私は、この図太さに、やられたのだ。
■文章の息遣いも、スタンス・・・全身全霊で、物語を書く、著者のひたむきさに好感
文章は、平明ではあるが、そのリズムには、独特の癖がある。若書きであることは否めないし、「読めやすさ」という点では、若干評価の分かれるところだと思う。だが、私は、この独特の癖が、登場人物、とくに語り手である“僕”の息遣いそのものであるように感じられた。父を慕うサキフミさん改めサキコさん、ミキの恋敵である矢島さん、ミキに恋する薫など、脇役も魅力的に造形されている。いわゆる「標準」から外れたところにいる人々への慈しみに満ちた視線にも好感が持てる。
ちなみに、著者は、イラン・テヘランで生まれ、エジプト・カイロでの少女時代を経て、大阪で育った27歳。うがった見方であるかもしれないが、こういった視線や、日本語に対する独特の感受性は、おそらく彼女の経歴が影響をしているのだろう(前述した“図太さ”も、もしかすると、“大阪のオカン”の図太さにあい通じるのかもしれない)。
こういうことも含めて、全身全霊で、物語を生み出している、という感じがする。この作品が、読むということにかけては玄人である書店員の「愛」を獲得したのは、作品の中身もさることながら、作品から匂ってくる著者のひたむきさといった要素もあるのだろう。ともあれ、次作にも大いに期待のもてる書き手の出現、うれしいなぁ・・・
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