『家守綺譚』
この本を買いたい!
■文明の進歩に乗りかねている青年と「人ならぬもの」たちとの静かで伸びやかな交流
今回も前回につづいて、本を読む贅沢をゆったり味わえる一冊をご紹介したい。
著者は、『西の国の魔女が死んだ』『マジョモリ』『エンジェルエンジェルエンジェル』など、どちらかというと、「ファンシー系」のイメージがあった作家だが、この作品は、実に渋い味わいあり。大人が読む楽しみを堪能できる一冊である。この著者の充実ぶりは、昨今とみに顕著で、個人的にはそろそろ何か勲章があってもいい人ではないかと思う。
さて、本作。時は、明治初期。語り手である「私」綿貫は、売れているとはおせじにも言えぬもの書きで、文明の進歩にいまひとつ乗りかねている亡羊たる青年である。そんな「私」は、琵琶湖で消息を絶った学生時代の友人・高堂の住んでいた一軒家に「家守」として住むことになる。
家のそばには、山、たんぼ、湖から引かれた疎水。家屋は、電燈付きの二階建て。縁側からは、シュロ、クスノキ、サツキ、タイザンボクなどが植えられた庭や、ヒツジグサうかぶ池を愛でることができる。自然に囲まれ、おまけに駅や銭湯、店からも近く、しごく暮らしやすい家である。
そう、人ならぬものにとっても・・・
この家に移り住んだ「私」は、さまざまな怪異に遭遇する。さるすべりの木に惚れられたり、庭にマリア様が出現したり、白木蓮がタツノオトシゴを生んだり、散りぎわの桜がいとまごいに訪れたり・・・
「私」に対してそんな怪異現象の水先案内を務めるのは、おもに、床の間の掛け軸から抜け出してきた亡友、高堂である。彼の薦めで飼うことになった犬・ゴローも、ただの犬ではない。河童と掛け軸の絵から抜け出してきたサギとのけんかの間に割って入ったことで知られる「その世界」では著名な仲裁犬なのである。
いやはや、妖怪好きにはたまらない設定だ。「こんな家に住みたい!」「こんなペットがほしい!」と思うこと、間違いなしだ。
妖怪好きならずとも、ご推察いただけるように、この家とその周辺を訪れる「怪異」は、けっしてまがまがしくはない。大仰に人を驚かせたりもしない。あるものは、なんとなく間が抜けていたり、あるものは奇妙な愛嬌があったり、あるものは、どこかもの哀しかったり・・・。そして、それらのすべてがただ、静かに、当然のごとく、そこに「在る」のだ。
それを、主人公はじめ、隣に住む犬好きの夫人や、「私」が「ダァリヤの君」と名づけている少女、寺の和尚なども、怪異現象を日常の一部としてごく普通に受け止めているのである。
たとえば・・・