玉手箱を持たされなかった男は、「変化」を探そうとして、「変化していない」ものを見つけてしまう。
そして、やっとみつけた「変化」は、新しくなったという変化でなく、古くなったという変化である。
三十年前に建築中だった地元の区役所が古びているのを見て、彼はこう思う。
――まだ建っていなかったものが、すでに老朽化して目の前にある。しかも、十年も以前に造られたものとそっくりと同じように古び、肩を寄せ合いながら目の前に――
彼の目に映る「未来」は、ピカピカに輝くものなどではない。むしろ、現在が古びたものなのだ。
ここまで書けば、カンのいい読者は、タイトルが意味しているところを予測することができるだろう。
白いギブスのような靴下を履き、足の太さが上から下まで同じ女の子、赤い髪、青い髪、金色の髪、水が商品になる世界、金を取って酸素を吸わせるバー
そう、かなり遠い昔に、どこかで、既に見た世界・・・。
ある世代(筆者も含めて)以上の読者は、本作を読んで愕然と気づかされる。
未来は、すでにあったのだと。
本作は、異者である男の視線を通じて、戦後日本が夢見てきた「未来」、いや、「未来」という名の幻想の正体を、痛烈に衝く。
男の歳の離れた妹、男の妻、ベトナム系アメリカ人のこわもての青年、男が「こんな明るく清潔な食堂でどうしてビールなどにありつけたのだろう」と思う牛丼屋で知り合ったコギャルなど、など、人物造詣も水際立っている。裏社会の事情を絡ませたストーリーテーリングの妙も、さすがというほかはない。
いや、久しぶりの「完徹本」であった。
舞台を東京に限定し、男の視線と思念で形成される作品世界は、形式上は、とてもミニマムである。だが、その向こうに、日本という国の歩みや、政治と人間の原初的な欲望のかかわりなど、とてつもなく広い世界がひらけている。
物語の底知れぬ可能性を感じさせてくれる傑作だと思う。
この本を買いたい!
正直言って、先入観あったんです。バリバリ・マッチョ系かと。今は、大尊敬しております。矢作俊彦センセイの情報は「矢の字」で情報チェック!
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。