『号泣する準備はできていた』
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■甘美で繊細。だが、実は、「怖い」江國作品
平成の恋愛小説のカリスマ・江國香織が、ついに直木賞を受賞した。受賞作は、体も心もひとつになれる男との別離の哀しみ、絶望と同居して女性を描いた表題作をはじめ、少女の頃のほろ苦い恋の思い出を振り返る『じゃこじゃこのビスケット』など、繊細で透明感あふれる12編を収めた短編集である。
直木賞受賞にあたっては、詩と散文の中間のような独特の文体を高く評価されていたが、透明感と浮遊感のある文体は、江國作品の最大の魅力であることには、異論などありようもない。
だが、私は、だからといって、江國作品が、読んでいて気持ちがいい、一種のヒーリング・グッズのようなものだとは思わない。
確かに、彼女の作品を読んでいると、静かで美しい音楽を聞こえるか聞こえないかの音で流しているような気分にはなる。なるのだが、そうやって油断していると、ある一節がヒヤリとした冷たさを伴って心のひだを刺してくるのだ。
たとえば、男の裏切りを知り、主人公が、飲んでいるワインをかび臭いと感じる一節(『そこなう』)、最愛の人と別れた主人公が、「肉体関係があったこともある男友達」に抱き寄せられて泣き出すかわりに笑い出す一節(『手』)、浮気をしているらしい夫がお気に入りの下着を着ていったことを思い出しながら夕食に彼の好物を作ろうと思う一節(『住宅地』)・・・
うーん、つくづく、江國作品は、怖い。この怖さの正体を少し探ってみることにしよう