『奇跡』
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■岡本太郎の公私にわたるパートナー77歳の小説デビュー。鮮烈で濃密な性描写に驚愕!だが・・・
20世紀日本を代表する芸術家・岡本太郎。創作に捧げたその人生を、秘書として、養女として共に生きた岡本敏子。彼女は、岡本太郎の死後、記念美術館を設立、運営、『岡本太郎に乾杯』『いま、生きる力』など、彼の芸術と哲学を伝えている。そんな彼女が、77歳にしてはじめて書いた小説。
舞台は、戦後の混乱残る昭和20年代。
久慈笙子は、短大卒業後、生け花の創光流で、会報誌などの編集にあたっていた。一方、羽田謙介は、新進気鋭の建築家。華道以外の講義も行っていた創光流に講師として招かれていた彼は、けっして目立つ存在ではない笙子を見初め、あるパーティーの後、ほとんど強引に彼女の肉体を奪う。
そのことが同僚にばれ、創光流を辞めさせられてしまう笙子。謙介は、人の悪意を知らず、無防備な笙子に狂おしいほどに愛が抱き、笙子も、彼の独特で真摯な愛の表現に応えることで、自らが女性として新しく生まれ変わったことを知る。
やがて、羽田は、母を亡くした笙子を自身の屋敷に入れ、友人・井崎と始めた建築事務所の秘書にも採用する。公私ともに謙介のパートナーとなった笙子。謙介は、仕事で次々と目ざましい成果をあげ、壮大な計画なリゾート施設の開設に力を注ぐ。充実した仕事、官能とエロスの極みのような私生活・・・。
だが、不幸は突然だった。謙介が、酔っての喧嘩の末、亡くなってしまったのだ・・・。
既にお分かりだと思うが、謙介・笙子のモデルは、岡本太郎、敏子である。
謙介は、自身の芸術論を、青年のような、歯に衣着せぬ口調で情熱的に語り、評論家たちともやんちゃな迫力で渡り合い、そのスリルを楽しむ男。笙子は、けっして強い自己主張をするわけではないが、いるだけで周囲の人間のモティベーションを高めるような不思議な求心力のある女である。
それぞれに非常に魅力的に描かれているのだが、何と言っても、この二人の性生活の描写が、生々しく鮮烈である。
――やがてまた力がみしてくると、スパッと抜き出して、そのヌラヌラしたものを笙子になめさせるのだ。いがらっぽいような、喉に突きささる粘液は、変になまなましく、だが、清らかな匂いがする。「もっともっと、情熱的に。」――
まるで、行間から何かが滴りおち、濃密な匂いが立ち上ってくるようではないか。77歳の女性が、これを描いたということで、彼女の出自ともあいまって、多くの人は、この性描写に注目するだろう。
だが、私は、この小説の魅力は、この小説に描かれた「愛」の形の中心は、必ずしも、それだけではないと思う。