■ささやかな存在が大きな存在とつながる――「哲学」が結晶した「純・ばなな文学」
「ともちゃんの幸せ」の主人公のともちゃんも、父に捨てられ、母を亡くし、おまけに幼児虐待を受けたという記憶を心の奥底に自分でも取り出せないほど深く封印している。そんな彼女が、ある男性に淡い思慕を寄せる。話としては、それ以上でも以下でもない。恋の結末も描かれないし、作品の中で、ずっと、彼女は彼に淡い思慕を寄せているだけなのだ。しかし、その淡い思慕は、彼女にとって、かけがえのない宝なのだ。心の内に空洞を抱きながらも、その宝を彼女は、こつこつ貯金をするように育ててきた。
そして、著者は、そんな彼女を「熱い情も、涙も、応援もなかったが、ただ透明に、じっとみていた」存在があったと書く。「だから、ともちゃんはいつでもひとりぼっちではなかった」そんな言葉で物語は締めくくられるのだ。
ささやかな存在が、何か大きな存在とつながっている。人を癒す何気ない時間は、宇宙の時間の流れのピースとしてあ。哀しさも、癒しも、愛も、とても、個人的なことであると同時に、とても普遍的なことでもある--。
私は、本作には、彼女のそんなメッセージが込められているように思えた。
収められた作品の多くは恋を扱っているから、形式的には、これは明らかに恋愛小説なのである。性愛の描写が登場する作品もあるが、基本的には、「純愛」小説だろう。だが、お互いへの思いの深さをひたすらに描いたものが「純愛」小説なら、この作品は、明らかにその範疇を超えている。言うなれば、「純・よしもとばなな文学」なのである。
個人的には、近年のばなな作品の中では、もっともいい。読んで損はないと思う次第である。
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