■真実より真実である「嘘」が書けてこそ、「作家」。「本音」だけなら「日記」でしょ?
そもそも、プロの作家というのは、たった一つの「自分の」物語ではなく、数多くの「会ったことみ見たこともない人たちの」物語を紡ぎつづけられる人だけだと思っている。また、事実に基づいた話でにしろ、そうでないにしろ、作品の中に現実とは別の時間が流れ、そこが、現実との新たな切り口を示してくれる「別の世界」であるべきだと思う。
事実も本音もいらない。事実より真実である「嘘」が書けてこそ、「作家」である。
だが、この作品の前半の「詩」には、彼女の「本音」だけしか見えないのだ。
有体に言うなら、日記の域を出ていないと思う。これだけだと、「ちょっと感性の鋭い子が書いたタレント本」というところなのだが・・・
■「直木賞宣言」はともかく、表題作の路線を追いかけていけば、もしかすると・・・
表題となっている『気遣い喫茶』を読んで、ちょっと見方を変えた。
大阪肥後橋の喫茶店を舞台に、「みっくすじゅーす」をミルク飲み人形のような速度で飲むオヤジやら、いきなりバナナシェイクを作り出すカッコイイ男やら、ピーナツ2Kg袋を腹から出してくるウェイストレスが登場し、下世話で、アナーキーで、適当にベタで、ちょっと物悲しい一種独特の世界の構築に、それなりに成功しているのである。
この路線をもう少し追っかけると、女・町田康になれるかも・・・(単に大阪弁が出てくるところが似通っているだけかも・・・とも思ったが)
伝え聞くところ、「直木賞を取ってみたい」というような発言をされているらしいが、大衆作品に与えられる賞である直木賞は、ちょっと路線が違うだろうな~と思う。あくまで、将来的に、であるが、谷崎賞か、三島賞あたりを狙ってはいかがだろうか?思い切って、推薦人の跡を追って、芥川賞、という手もなくはない。
しかし、まさに言葉とおり「身を削って書く」タイプなので、もし、彼女がその域まで行き着こうとすれば、私生活でかなりドロドロにならないといけないのかも。ファンにとって、それってどうなの?
この本を買いたい!
本作の感想掲示板もあり。ファンサイトはこちら「さとえりの世界」
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