■直木賞「落選」の理由に、妥当性はあるのか?
さて、映画化にあたって、古い話題を蒸し返すようで、ちょっと気が引けるのだが、この作品を取り上げるとなると、避けては通れない話題がある。そう、弟128回直木賞選考の件である。
作品の核となる梶の行動が、現実的にはあり得ない、と評価され、受賞に至らなかった。横山氏は、再調査の結果、「あり得ない」という意見こそ誤りであると確信を得て、直木賞の主催者である日本文学振興会に「できないと断ずる根拠を示してほしいと申し入れたが、明確な回答がないまま2カ月以上もたなざらしにされた」(『上毛新聞』より)とのこと。その後、横山氏は、今後直木賞とは縁を切る覚悟をしたとの報道が。
小説の落ちが、現実にあり得ることか、あり得ないことは、ともかくとして、その一点で「物語」を評価するのは、私は、あまり賢明なことであるとは思わない。「作品のミスに気付かず、高い評価を与えたミステリー界も悪い」というような批判もあったと聞くが、論外だろう。
ミステリーに限らず、小説は、「報道」ではない。
そのことは、新聞記者出身の著者が誰よりも知悉されていることであろう。
もちろん、何らかの形で現実との接点はあるべきであり、現実を見る一種の「枠組み」を与えるべきものだと思うが、それは、現実をそのままなぞると等価ではないと思う。
横山氏が、直木賞作家になる可能性がなくなったことは残念であるが、その意気やよし、と思う。
優れた大衆作品に与えられる直木賞だが、その賞を獲れなくても、いい意味で大衆的であることの証明の一つが、今度の映画化であるだろう。
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