■視座を限定することで生まれた原作の緊迫感にどこまで迫れる?
原作のあらすじはこんなところ。主人公はスタイリッシュだし、ネットの掲示板や携帯電話を多用されるなど、ディテールもきわめて今日的。一見、きわめてビジュアル化しやすい作品なのだが、実は、一筋縄ではいかない要素もある。
この作品、一貫して佐久間の一人称で物語が進み、すなわち、犯人の側からのみ語られる犯罪小説なのだ。
犯罪が進行している間の葛城の動向は、佐久間が仕事の現場で出会う姿でしか描かれえない。娘の誘拐を警察に伝えたのか、ショックを感じているのか、いないのか、最後まで、一切明かされないのだ。
もちろん、警察の動向も一切描かれない。
視点を犯罪者側に限定して、加害者・捜査側を完全にブラインドにする--
この工夫が、この小説に何ともいえない緊迫感を与えているのである。
さて、映画は、通常、複数の視点で表現されるもの。
だとすれば、この独特の緊迫感をどう表現するのか。
なかなか興味深い。
■「不自然な男」を「ナチュラル系ハンサム」がどう演じるか?
出演者が原作のイメージにあっているかどうかについては、まあ、ビジュアル的にはかなりいい線いっているのではないかと思う。
ただし、佐久間という主人公は、とても「不自然」な男である。
このことがストーリー自体の基調ともなっている。
それにしては、藤木直人、ちょっとナチュラルすぎはしまいか?
もっと、くどい人工系でもよかった気がするのだが・・・。
原作を読んでから見るか、映画を観てから読むか。
どちらにしても、原作は、この著者の作品らしく、読み損はない。分量的にも手頃だし、ぜひともご一読を。
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