九代・林家正蔵の襲名
なかなか噺家として評価されず悩んでいた、矢先に襲名話が舞い込みます。それが林家一門だけでなく落語界にとっても大名籍である祖父の名前であった林家正蔵の襲名です。当初は父の「林家三平」を継ぐことだと思っていたようですが、「林家正蔵」だと聞きかなり戸惑いがあったようです。しかし、周りの説得と落語界を盛り上げるため、なにより、自分が噺家として落語界の一翼を担うという腹をくくったことも大きな要因になったことと思います(勘ぐりすぎかな? )。
襲名が決定後も噺家としての実力や経験不足の指摘があり、襲名に異を唱える風潮が少なからずありました。しかし、本人の努力と周りの後押しで見事、2005年3月21日、九代・林家正蔵を襲名ましす。その襲名披露興行の凄さはみんさんもメディア・新聞等でご覧になったと思います。
史上空前の襲名披露
■2005年3月14日:上野から浅草までの道のりを日本中の噺家総出演で5時間以上かけて襲名PRパレードを行う。そのパレードに参加した人数は14万人以上。■都内の寄席(定席)で異例の40日間連続の襲名興行を敢行。
■二年以上かけて、日本全国約60箇所以上で襲名披露興行を開催。どこの開場も好評で大入り。
なにより、彼の素晴らしいところは、このメディアにも大々的取り上げられたので、林家正蔵襲名披露興行で久しぶりに、または初めて落語を聞きにきてくれたお客さんたちを、がっかりさせるような高座にしなかったことです。
彼の高座を見てお客さんの多くが「落語って面白い」「こぶ平(正蔵)ってやるじゃん」と感じたはずです。でなければ、林家正蔵の落語会が今でも満員御礼になろうはずがありません。その点を踏まえると現在の落語ブームの最大の功労者は林家正蔵といっても過言ではないでしょう(褒めすぎかな? )。
そして本人にとって林家正蔵を継ぐで、三平の子・タレントこぶ平ではなく、やっと噺家として正当に評価してもらえるようになったことが、この襲名の中で一番ウレシイ出来事ではないでしょうか。
芸人として、さらに一皮剥けろ!
襲名興行のご祝儀の金額には驚かされました。 |
詳しい内容についてはすでに各種報道によって伝えられているとおりのことですので、ここでは省きます。
当然、この件については猛省しなければなりません。しかし、この件をきっかけに正蔵は変に縮こまることなく、芸人として、さらに一皮むけてほしいところです。
この件が発覚後の初めての高座では、最後のサゲで「本当に妖怪が怖いのは都知事に出馬した桜金造の目つきと、地下室の祝儀袋だ!」と自虐ネタを振りまいていたところを見ると、その辺の心配は必要ないようですが。
今後、九代目・林家正蔵がどういった噺家になるのか末永く期待を込めて見つめていきましょう。ぜひ、先代の八代目林家正蔵(彦六)が得意だった「怪談」ものにも果敢に挑戦してほしいものです。
【関連リンク】
蔵の塩梅林家正蔵公式オフィシャルサイト