中国史上に残虐な支配者として残る、三大悪女の一人「西太后」
三大悪女の一人、西太后
「もしも宝くじがあたったら?」「もしも社長になったら?」……もしその通りになったら最高ですが、富や権力を手に入れた途端に人が変わってしまい、常識的に見てとんでもない人になってしまったら大変です。
有名な“アラジンの魔法のランプ”のお伽話でも、魔人ジーニーに3つの願いをしてもなぜか幸福になれないケースが多いです。
「昔はあんな人ではなかったのに!」という言葉も、よく耳にするものです。若かった時は貧しく、夫婦で力を合わせ懸命に頑張ってきたのに、成功してお金持ちになったとたんに夫は家のことなど省みなくなってしまった……。
では、お金だけではなく何をしても咎められることがないほどの権力を手に入れたら? 心の闇が顔をのぞかせ、ありえない事をしてしまうかもしれません。このありえないことをしてしまった人が、あるいはそう伝えられている人が歴史上には何人もいます。
例えば、中国では三大悪女が有名です。漢王朝の呂后、唐王朝の則天武后と清王朝の西太后の3人です。この3人は権力を握った後の評判がたいへん悪いです。今回はその一人、西太后(1835~190)の話をメンタルヘルスに関連するエピソードとして、紹介したいと思います。
西太后は纏足していなかった? 貧しい少女から清王朝の支配者へ
西太后(当時の名は玉蘭)は1851年、16歳の時に咸豊帝の側室に選ばれ、後宮に入りました。才色兼備の彼女は帝の寵愛を受け、1856年に男の子(後の同治帝)が誕生したことで、後宮において皇后に次ぐ地位を得ました。1861年に咸豊帝が亡くなり同治帝が即位した後は、皇帝の背後から政治を操り、1908年、74歳で亡くなるまで事実上の皇帝として中国全土を支配しました。その西太后も後宮に入る以前の足跡はあまりはっきりしていません。1835年、山西省(黄河の中流域)の長治市付近で、満州族(清王朝の支配階級)の貧しい下級官吏の娘として生まれたと言われてきましたが、1999年には新説が発表されました。
それによると西太后は漢民族の貧しい農家の生まれで、4歳の時に他の漢民族の家に売られた後、その家もおちぶれてしまい、再び、12歳の時、この下級官吏の家に売られてしまいます。その家では西太后の美しさが際立っていたので、西太后を養子とし、その後、咸豊帝の側室に選ばれたそうです。
従来は、西太后が纏足(てんそく:足を布で縛って小さくする)をしていない理由は西太后が漢民族ではなく、満州族の出身だと考えられていました。しかし、この説のように漢民族の出身だとすると、生まれた家は纏足もできないような、下のレベルだったことにもなります。
いずれにせよ、西太后の運命は貧しい家の娘から中国の支配者へ劇的な変化を遂げました。
#この写真はDragon of Heaven: The Memoirs of the Last Empress of China(Amazon.co.jp)の表紙からの引用です
西太后の残虐さを伝えるエピソード
彼女の残忍さは(その真偽に100%の正しさがないことは一応頭に置いておきたいですが)、多くの人々を震え上がらせました。以下が特によく知られている恐ろしいエピソードです。- 咸豊帝に愛されていた麗妃に嫉妬した西太后は帝の死後、麗妃の手足を切断し、生かしたまま、瓶に入れた
- 自分の息子である同治帝が西太后の命令に服さないので暗殺した
- 同治帝の身重の后を紫禁城内の京劇の舞台上に吊り上げ、落として殺した
- 死期を悟った西太后は自分の死の一日前に、よく思っていなかった光緒帝を毒殺した
西太后の意外な一面
西太后の夏の別荘、頤和園(いわえん) |
しかし、西太后の怒りにいったん火が付くと、それを鎮める人がいないために、どんどんエスカレートしていき、狂気といえるようなレベルになるのかもしれません。誰も止められないということは本当に恐ろしいことです。
この西太后の例と決して同列に語るわけにはいきませんが、力の行使がエスカレートしていく構図は社会のいろいろなレベルに見られると思います。例えば、児童虐待は現在、大きな社会問題です。家庭という密室の中で、親は子供にたいして絶対的な力を持っています。子どもへのしつけが本来してはいけない体罰になり、とめる人がいない状態でエスカレートして、ひどい虐待になってしまう悲しい事件は、残念ながら現代でも起こっています。
話は西太后に戻りますが、西太后が亡くなられてから100年以上の時が流れました。もう清王朝の時代は、学校の歴史の時間に習うようなことになりましたが、北京の北西に彼女の夏の別荘であった頤和園(いわえん/サマーパレス)があります。ここは世界遺産に指定されていますがその美しさは類がなく、別世界のようです。その美しさを一目みれば、当時の西太后の想像を絶するパワーと同時に、西太后の当時の恐ろしさも、もしかしたら感じられるかもしれません。
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