世界遺産/中国の世界遺産

青城山と都江堰灌漑施設/中国(3ページ目)

いまから約2300年前、洪水と干ばつに苦しんでいた秦国・蜀の地に大水利施設・都江堰が築かれる。これによって蜀は「天府の国」と呼ばれる大穀倉地帯に変貌を遂げ、中国史上初となる始皇帝の天下統一に大いに貢献する。一方、青城山は「幽玄」で知られる道教の聖山。今回は都江堰と道教の聖地・青城山を登録した中国の世界遺産「青城山と都江堰灌漑施設」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

天師・張陵と幽玄の山・青城山

青城山山門

建福宮の近くにある青城山(前山)の山門。ここより先は道教の聖域となる

道教は儒教・仏教と並ぶ中国三大宗教のひとつ。老子や荘子で知られる道家の哲学(老荘思想)を源流とするが、道教はそのはるか後に神仙信仰(神人や仙人に対する信仰)をベースに発展した宗教だ。

神人や仙人は深く険しい山中に暮らすと伝えられており、不老不死で空を飛び、医学や薬学に長じ、この世界の理(ことわり)に深く通じていると信じられていた。

張陵(ちょうりょう)もそんな仙人を目指したひとり。後漢の時代、140年頃、仙人を目指して鶴鳴山(かくめいざん)に入って修行を積み、老子の啓示を受けて仙道を広める活動を開始する。信者に五斗の米を納めさせたことからその名が付いた五斗米道は瞬く間に蜀の地に広がり、強力な宗教国家を築き上げた。

張陵がその晩年にこもったといわれる山が青城山だ。青城山は古くから幽玄(計り知れないほど奥深いこと)で知られる神秘の山。鬼の巣として恐れられていたが、張陵はこれらの鬼を倒して封印し、123歳で亡くなるまでここで修行に励んだと伝えられている。

五斗米道は張陵の子・張衡(ちょうこう)、孫の張魯(ちょうろ)と三代にわたって繁栄するが、三国時代に張魯が魏の曹操に降伏して終焉を迎える。五斗米道は崩壊したが、曹操はその人柄を高く評価して張魯を将軍に任命。張魯は張陵を天師として神格化し、五斗米道は天師道や正一教という名で引き継がれていく。

青城山とその主要施設

朝陽洞

断崖の中に築かれた朝陽洞。朝陽を受けて輝き出すことからこの名がついた

「四季常青」といわれる青い木々と城壁のように連なる36の峰からその名が付いた青城山。前山には多数の道観(道教の寺院)が点在しており、現在も道士たちが修行を続けている。前山の主だった施設を紹介しよう。

■建福宮
山門に隣接した建物。唐代の724年に丈人観という名で建てられた道観で、清代の1888年に2院3殿が再建されて建福宮と呼ばれるようになった。

■天師洞
天師=張陵が修行や説法を行ったといわれる洞天を中心とした道観。三清殿、三皇殿といった建物は清代の再建だが、門の前に立っているイチョウの巨木は張陵自ら植えたものと伝えられている。

■朝陽洞
数々の洞窟から成る道観で、断崖に張り付くように岩窟寺院が建設されている。もっとも大きな洞窟は100人超を収容するほどで、ここでも厳しい修行が行われた。

■上清宮
晋代の3世紀に建てられた名高い道観だが、たびたび焼失し、現在のものは19世紀の再建。「上清宮」の文字は蒋介石の書だ。台湾の画家・張大千(ちょうたいせん)がここに住み、数多くの書画を仕上げたことでも知られる。

■老君閣
高さ42mの建物は1995年の竣工。上部は円形、下部は方形(四角形)で、宇宙を示す天円地方の考え方が採用されている。老君は老子を示し、老子が牛に乗る太上老君騎青牛像を収めている。

なお、後山は青城後山と呼ばれ、泰安寺や白雲寺、白雲千仏洞、桃源別洞などの仏教施設や泰安古鎮などの街を見学することができる。山は青城山よりいっそう深く、より幽玄な山々を楽しむことができる。
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