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2011年新登録の世界遺産(3ページ目)

2011年6月の第35回世界遺産委員会で、日本の平泉や小笠原諸島をはじめとする25件の新世界遺産が誕生した。これで世界遺産総数は936件、うち日本の世界遺産は16件となった。今回は速報記事として世界遺産委員会の概要を紹介する。新世界遺産全リストつき!

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

新世界遺産全リスト 前編

杭州西湖

「杭州西湖の文化的景観」の西湖。湖を分割する砂州のような道は白堤

それでは新登録の世界遺産25件をすべて紹介しよう。なお、世界遺産の日本語名はガイドが適当に訳したもので、正式なものではない。世界遺産とは世界遺産リストに記載された物件を示し、そのリストは英語とフランス語で書かれている。記載した英語名が正式名称となる。

<文化遺産>
■アル・アインの文化遺産群(ハフィート、ヒリ、ビダー・ビン・サウードとオアシス地域)
The Cultural Sites of Al Ain (Hafit, Hili, Bidaa Bint Saud and Oases Areas)
アラブ首長国連邦、文化遺産(iii)(iv)(v)
アル・アインは新石器時代以降、採取狩猟生活を終え、砂漠の中で定住生活を勝ち取った人々の生活文化が非常によく残された文化遺産だ。たとえばヒリには地下水を村に引き込むアフラージュと呼ばれる高度な灌漑システムが整備されており、これによって生活用水や農業用水をまかなうことができた。他にも日干しレンガで造られた宮殿や井戸などの公共施設・住居・宗教建造物・墓地が残されており、過酷な環境を勝ち抜いた生活の様子を見ることができる。

■ペルシア庭園

The Persian Garden
イラン、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi)
9つのペルシア庭園から構成される世界遺産。広大な砂漠が広がるペルシアの地では豊かさを示す水や緑を使った庭園文化が発達し、その起源は紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシアの初代国王キュロス2世の時代までさかのぼる。ゾロアスター教の影響を受け、庭園をエデンの園を示す空・大地・水・植物に4分割して天国を表現するその様式は、やがてイスラム庭園に発展してインドからスペインにかけて拡大し、タージマハルやアルハンブラ宮殿など多くの世界遺産にも影響を与えた。

■シリア北部の古村落
Ancient villages of Northern Syria
シリア、文化遺産(iii)(iv)(v)
1~7世紀にかけて活動し、8~10世紀には放棄されてしまったシリア北西部に残る約40の村落跡。ここにはキリスト教やイスラム教が伝わる以前の土着の宗教寺院や住居や生活施設がよく残されている。やがてキリスト教が村々に浸透すると、人々は教会を建ててそれを中心とした生活に移行し、村はキリスト教文化に染まっていく。特に東ローマの指導を受けて造られたと見られる水利施設は見事で、当時の農業の様子をいまに伝えている。

■杭州西湖の文化的景観
West Lake Cultural Landscape of Hangzhou
中国、文化遺産(ii)(iii)(vi)
マルコポーロが「世界でもっとも美しい街」と称した杭州。杭州は世界遺産「蘇州古典園林」を有する蘇州と並んで水の都として知られ、古くから詩人や芸術家が集まる芸術の街だった。外周約15kmに及ぶ西湖とその周囲には数多くの島や湖・川があり、人々は自然の景観に人工島や堤・寺院・庭園・林や木々を配して美しい文化的景観を造り上げた。西湖で花開いた庭園文化はやがて中国各地に広がり、東南アジアや日本へと引き継がれていく。

■平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群

Hiraizumi - Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the Buddhist Pure Land
日本、文化遺産(ii)(vi)
平泉は11世紀後半の藤原清衡以降、四代にわたって築き上げられた奥州藤原氏の中心地。山や川など自然の地形を活かし、寺や住居を上手に配して阿弥陀如来が治める極楽浄土(仏国土)をこの世に表現し、政治と宗教の中心として機能した。大陸発の仏教と日本の自然思想や美的感覚が見事に融合した物件として価値を認められた。世界遺産には中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山が登録され、柳之御所遺跡は除外された。

■胡朝の王城
Citadel of the Ho Dynasty
ベトナム、文化遺産(ii)(iv)
14世紀末、ベトナム陳朝の宰相として実権を握ったホー・クイ・リ(胡季リ。リは常用・表外漢字外)は陳朝の息のかかった重臣を次々粛清し、1397年には故郷であるタインホアへの遷都を実施。1400年には陳朝の少帝を廃して自ら皇帝の座に就き、胡朝を興す。タインホアに建てられた胡朝城は当時東南アジア最大規模を誇り、アジアや中国の建築技術と風水の粋を集めた傑作として知られている。胡朝はここから儒教を中心とした新しい文化を築き、東南アジア全体に影響を与えた。

■モンゴル・アルタイ山脈の岩絵群
Petroglyphic Complexes of the Mongolian Altai
モンゴル、文化遺産(iii)
中国・モンゴル国境にまたがるアルタイ山脈にはおよそ12,000年間にわたって描かれた岩絵群や墓跡群がある。岩絵は時代や場所によって異なり、たとえば紀元前6000年以前の古い岩絵には豊かな森林の中で動物を追う採取狩猟生活が描かれ、紀元前1000年ほどの新しい岩絵にはステップの中で家畜を追う遊牧生活が表現されていたりする。岩絵は時代時代の気候や生活様式を示す貴重な資料となっている。

■アルプス周辺の先史杭上住居
Prehistoric Pile dwellings around the Alps
イタリア/オーストリア/スイス/スロベニア/ドイツ/フランス、文化遺産(iii)(v)
新石器時代から青銅器時代にかけての紀元前5000~紀元前500年、アルプス山脈周辺の湖畔や川岸・湿地には数多くの湖上住居が見られた。住居は多数の杭によって湖底や河床から持ち上げられており、これによって水上生活を可能とし、人々は水辺で採取狩猟や農業を行い、豊かに生活していたようだ。特にスイスに残された住居跡は保存状態がよく、世界遺産登録された111か所の住居群のうち56か所はスイスが占めている。本物件はアルプス山脈周辺6か国にまたがるトランスバウンダリー・サイトとして登録された。

■イタリアのランゴバルド王国、568~774年にかけての権力域
Longobards in Italy. Places of the power (568-774 A.D.)
イタリア、文化遺産(ii)(iii)(vi)
5世紀後半から6世紀、イタリアの地はゴート人による東ゴート王国が支配していた。東ローマ帝国のユスティニアヌス帝はゲルマン系民族ランゴバルドと組んで東ゴートを征服。東ローマ帝国はやがてササン朝との戦いで疲弊して力を失い、ランゴバルド人が王国を建国してイタリア半島の多くを支配した。ポー川流域のロンバルディアの地を中心に、西ローマとゲルマンと東ローマの文化が融合した独自の文化を発展させた。世界遺産には、ランゴバルド小神殿、サン・サルバトーレ修道院、サン・サルバトーレ・バシリカ、サンタ・ソフィア大聖堂などが登録されている。

■ブコヴィナとダルマティアの都市住居
The Residence of Bukovinian and Dalmatian Metropolitans
ウクライナ、文化遺産(ii)(iii)(iv)
ウクライナのブコヴィナとダルマチアにある都市住居は、宗教施設や学校・住居・公園などから構成される複合施設となっている。これらはチェコの建築家ヨセフ・フラーフカによる設計で、1864年から1882年にかけて建築された。カトリックのハプスブルク家が支配するオーストリア・ハンガリー帝国にありながら、イスタンブールに近い土地柄からビザンツ様式の造型も大きく残され、両者の影響を受けた特異な姿を見せている。

■トラムンタナ山脈の文化的景観
Cultural Landscape of the Serra de Tramuntana
スペイン、文化遺産(ii)(iv)(v)
地中海の西に浮かぶマヨルカ島(マジョルカ島)に突き出した険しい山岳地帯トラムンタナ。地形も気候も農業に不向きだったが、急角度の斜面を利用し石垣を組んで棚田を築き、棚田同士を水路で連結することによって山中に大農園を造り出した。1,000年以上にわたって使用されてきたこれらの農園は、山と農業、自然と文化が一体化した美しい文化的景観を見せるだけでなく、独特な封建的農業システムとその文化をいまに伝えている。

■アルフェルトのファグス工場
Fagus Factory in Alfeld
ドイツ、文化遺産(ii)(iv)
近代建築の四大建築家に数えられるヴァルター・グロピウスの処女作「ファグス工場」。靴メーカー・ファグスの工場であるこの建物は、1910年着工、翌1911年竣工で、ガラスをパネル状に並べたデザインをはじめ、その後急速に広まる近代建築と工業デザインのさきがけとなった。やがて本工場をランドマークとして、近代建築はバウハウスの運動へつながり、世界中に拡大していく。なお、グロピウス設計のバウハウス・デッサウ校は「ワイマールとデッサウのバウハウスとその関連遺産群」として世界遺産登録されている。

■セリミエ・モスクとその社会複合施設
Selimiye Mosque and its Social Complex
トルコ、文化遺産(i)(iv)
セリミエ・モスクは16世紀、オスマン皇帝セリム2世の指示で建てられたモスク。設計したのはトルコ史上最高の建築家といわれるミマール・スィナンで、天にそびえる巨大なドームやイズミック・タイルを多用した美しい内部、重厚なファサードと舞い上がるような4本のミナレットをはじめ、神々しさを存分に感じさせる空間となっている。モスクの周辺にはマドラサ(イスラム教学校)や病院・図書館・庭園・市場などが配されており、世界遺産にはモスクを中心とした複合施設として登録された。

■コースとセヴェンヌ、地中海・農業田園地帯の文化的景観
The Causses and the Cevennes, Mediterranean agro-pastoral Cultural Landscape
フランス、文化遺産(iii)(v)
フランス中央高地南部に広がるコース地方とセヴェンヌ地方は深い山々や渓谷・高原からなる山岳地帯。そんな山中でも人々は石垣で囲った棚田で植物を栽培し、石で造った素朴な家々や教会を建設して日々を送り、独特な田園風景を作り上げた。また、ロゼール山では季節に応じて家畜を移動させながら育てる移牧がいまだ伝えられている。

■コンソの文化的景観
Konso Cultural Landscape
エチオピア、文化遺産(iii)(v)
400年以上前にサバンナを追われ、標高2,000mを超えるコンソ高地に移住をはじめたコンソ族。貧しい土地ながら険しい崖に石や岩で段々畑を作って作物を栽培して自給自足を実現し、石垣と木で組み上げられた小さな王宮を中心に、21世代にわたって慎ましやかに暮らしてきた。環境も独特なら伝えられる文化も特有で、木の塔や石碑に年月や王の記録を刻むなど、類を見ない伝統が残されている。

■モンバサのジーザス要塞

Fort Jesus, Mombasa
ケニア、文化遺産(ii)(v)
モンバサは、すでに世界遺産登録されているキルワ・キシワニやザンジバル島、モザンビーク島と同様、季節風を利用した中東-東アフリカ間のインド洋交易で開けた街だ。海運の要衝でもあることから16世紀にはポルトガルの支配下に組み込まれ、1593年に港を守るために要塞が建設され、1596年に完成した。交易権や領有権を巡ってアフリカ・アラブ・ヨーロッパそれぞれの勢力が触手を伸ばす不安定な地にあって、一時はポルトガルを支える拠点として機能し、香辛料貿易による莫大な富をもたらした。

■メロエ島の考古遺跡群
Archaeological Sites of the Island of Meroe
スーダン、文化遺産(ii)(iii)(iv)(v)
紀元前2500年ほどから4世紀にかけてナイル川流域で栄えたクシュ文明。下流の古代エジプトとの交易も盛んで、お互いに影響を受け合って発展した。紀元前10世紀頃からナパタ周辺でピラミッドが建設され、こちらは2003年に「ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群」として世界遺産に登録されている。紀元前6世紀、アッシリアの侵攻を受けてクシュの都はナパタからメロエに遷都。メロエにも多数のピラミッドや神殿が残されることになった。

■サルーム・デルタ
Saloum Delta
セネガル、文化遺産(iii)(iv)(v)
サルーム川は河口で3本の川に分かれて三角州を形成している。州の中には200以上の島があり、島や湿地帯・汽水域が混じり合わさった環境がマングローブ林や森林をはじめとする豊かな生態系を育んでいる。この地に生きた人々は魚や甲殻類を採って暮らしていたようで、長さ数百メートルに及ぶ貝塚や墓地の中からすばらしい工芸品が発掘されている。世界遺産委員会へは複合遺産として推薦されたが、今回は文化遺産としての登録となった。

■レオン大聖堂
Leon Cathedral
ニカラグア、文化遺産(ii)(iv)
レオン大聖堂はグアテマラの建築家ディエゴ・ホセ・デ・ポレスの設計で、1747年に着工し、19世紀前半まで改修されて現在に伝えられた。大聖堂の内部が特徴的で、自然光を取り入れて内部空間を演出し、美しい装飾によって神々しい空気を描き出している。有名なのはニカラグアのアーティスト、アントニオ・サリアの手による木製のフランドル式祭壇装飾で、イエスが十字架を背負ってエルサレムを歩いたヴィア・ドロローサ(悲しみの道)行の14留が描かれている。

■ブリッジタウンとその砦
Bridgetown and its Garrison
バルバドス、文化遺産(ii)(iii)(iv)
カリブ海に浮かぶ西インド諸島の島国バルバドス初の世界遺産。16世紀にスペインがバルバドス島に襲来し、17世紀にはイギリスが植民化を開始、黒人奴隷を使ってサトウキビ・プランテーションを経営した。バルバドスの首都ブリッジタウンには17~19世紀にかけての植民地建築がよく保存されており、スペインやオランダが計画的な区画整理によって碁盤の目状の殖民都市を建設したのに対して、ブリッジタウンは蛇行した道路を中心にレイアウトされた特有の都市景観を見せている。

■コロンビアのコーヒーの文化的景観
Coffee Cultural Landscape of Colombia
コロンビア、文化遺産(v)(vi)
コロンビアでコーヒー栽培がはじまったのは18世紀のこと。19世紀にコーヒー農園は急速に拡大し、1880年代にはコロンビアの主産業として世界中に知られるまでになった。アンデスの山岳に農園を作るのは非常に困難だったようだが、人々は山の平地に都市を作り、斜面にコーヒー畑を造って持続可能で生産的な農園文化を築き上げた。今回登録された6つの景観地はコロンビアのコーヒー文化を代表する典型的な農地である。
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