よくわかる政治

更新日:2001年12月10日

イスラエル情勢の基礎知識

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混迷を続けるイスラエル/パレスチナ情勢。ここではイスラエル/パレスチナ情勢を読みとくうえで必要な基礎的歴史知識を年表・地図まじえてかんたんに説明します。

文章:辻 雅之(All About「よくわかる政治」旧ガイド)

(2001年12月10日)

1ページ目 【イスラエルの誕生とパレスチナ問題】
2ページ目 【パレスチナ和平のはじまりと挫折】
3ページ目 【一枚岩ではないパレスチナ勢力】(イスラエル地図掲載)

【イスラエルの誕生とパレスチナ問題】

 イスラエルは四国より少し大きいくらいの国です。国民の大半を占めるユダヤ人は、2千年前くらいまでこの地域にいましたが、周辺諸国の迫害にあい、世界各国に分散してしまいました。

 19世紀末、ヨーロッパのユダヤ人を中心に「シオニズム運動」が起こります。ユダヤ人のふるさとであるイスラエルにユダヤ人国家をつくろうというもので、このころからユダヤ人のイスラエルへの移住が始まります。

 もっとも、ユダヤ人がいない間にこの地域は「パレスチナ」とよばれ、アラブ系のパレスチナ人が住みイスラム系のオスマン=トルコ帝国によって支配された地域になっていました。

 そんななか第1次世界大戦が起こり、イギリスとドイツが全面的に戦います。オスマン=トルコはドイツ側についていたのでイギリスの敵となりました。イギリスはトルコの内部分裂をすすめるため、トルコが支配しているアラブ人地域の独立をアラブ人に約束します。

 ところがイギリスは戦争が進むと、中立だったアメリカがイギリス側について参戦してくれることを願って、今度はアメリカ経済で中心的な役割を担っているユダヤ人むけに、シオニズム運動への支援を約束します。

 結局、イギリスは「アラブ人国家の建設」と「ユダヤ人国家の建設」という矛盾した約束を両方にしてしまったことになります。これが混乱を深めることになりました。

 戦後、この地域はイギリスが統治することになりますが、ユダヤ人とパレスチナ人双方が独立を要求してイギリスとはげしく衝突。困ったイギリスは1947年に統治権を返上、できたばかりの国連に解決してもらおうとしました。

 そこで国連はこの地域をユダヤ人国家、パレスチナ人国家の2つに分割しようとしますが両方に拒否されてしまいます。結局内戦が起こり、その結果1948年ユダヤ人によるイスラエルが建国。パレスチナ人の大半は難民となり周辺諸国へ追われてしまいました。

 その後、イスラエルは欧米先進国の支援のもと発展を続け、第3次中東戦争ではガザ地区をふくむシナイ半島(エジプト)、ヨルダン川西岸地域(旧ヨルダン)、ゴラン高原(シリア)を獲得。イスラエルの「不敗神話」時代が頂点を極めた時でした。

 しかし70年代、イスラエルの不敗神話は崩れ、あらたな局面を迎えることになります。(つづきは次のページで)

(執筆者:辻 雅之)

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