「下流社会」がやってきた理由
下流社会が日本にやってきた理由の多くは、日本が右肩上がりの経済成長時代の終焉を迎えてしまったことと関係がありそうです。今までは誰でも仕事にがんばれば日本中で生活水準を高めていくことができましたし、年齢を重ねるに従って豊かさを手に入れることもできました。しかし、今はそうではありません。一定以上の豊かさはすでに手に入れており、これ以上の豊かさを全国民が手に入れるのは難しくなっています。まさか日本国民全員がブルガリの時計を使うとは思えません。日本が一体となって豊かさを上昇させていくビジョンには限界が来ています。
一方で、能力主義・実力主義の格差は大きく開きつつあります。ある会社では、同じ会社の中で同年齢の者の所得が2倍になるくらいです。今までなら年齢に従って誰でも所得が増えるチャンスがあったものが、今では能力が変わらなければずっと収入が同じ、という時代になってしまいました。能力のある人にとってはチャンスが広がったとはいえ、そうでない人には厳しい時代になってきたわけです。
そうなってくると、一定の豊かさはほとんどの日本人が手に入れる一方で、「総中流化」は崩壊し、少数の「勝ち組」と、大多数の「下流社会」(森永卓郎氏の言葉でいえば「年収300万円」)に分かれていくことになります。なんとなく豊かさは享受できるものの、将来の成長ビジョンはあまり見えないため、なんとなく閉塞感を感じるのが「下流社会」なのです。つまり、時代の変化が「下流社会」を呼び寄せてしまったということがいえるわけです。
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