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江戸の頃から橋と花火と隅田川(歴史編)(3ページ目)

隅田川花火大会と呼ばれるようになったのは意外にも30年前。江戸時代から両国の川開きとして親しまれてきたその歴史を昔の写真を交え振り返ってみました。

執筆者:妹尾 みえ

シジミのとれた隅田川
料亭のにぎわい

昭和32年(1957)両国橋の下流で、舟に鈴なりの人たち。同愛記念病院の上あたりから撮影か?とのこと。写真提供:墨田区緑図書館

川開きの花火を盛りあげたといえば、忘れちゃならないのが柳橋の料亭です。
柳橋は、神田川が隅田川に注ぐところに架かる橋。 現在の両国と浅草橋の間になります。

江戸時代から花街として栄え、花火の時などは料亭ごとに多いところで17隻、最盛期には川面に200隻もの納涼船が出たそうです(『両国の花火250年記念誌』)。

店は仕込みで大忙し。お酒やつまみの他に、竹で舟の形を編んだ籠に入れた干菓子の詰め合わせや佃煮といったおみやげも用意されました。あまりの忙しさに、花火が上がる頃には、従業員は皆、眠っていたのだとか。

今のように護岸がコンクリートで固められ、周囲の海が埋め立てられる前まで、川にも潮の満ち引きの影響がありました。潮がひくと、なんとシジミが穫れたそうです。

まだ空が広い昭和30年代の花火。モノクロで見てもその華やかさは伝わってくる。写真提供:墨田区緑図書館

以前は大会の日を7月第三土曜と定めていたのも、「潮の具合がよく、桟敷を組んで舟を浮かべるのに都合がよかったから」(前述の記念誌)だそうで、自然と共存していた頃の花火大会の様子が目に浮かびます。

江戸、明治、大正、昭和と歴史をつぶさに見てき柳橋も、格式の高い黒板塀の料亭が次々にビルへと変わり、芸者衆の姿を見ることもなくなってしまいました。

以上、大急ぎで隅田川花火大会にまつわる歴史を見てきました。 太平洋戦争の勃発で、中断された花火が復活した経過については「花火師の競演 隅田川の花火」に書きましたのでご覧ください。

花火見物の楽しさが確実に広がる「両国花火資料館」

さらに、花火の歴史や、花火の仕組みについて詳しく知りたい方は、「両国花火資料館」や「すみだ文化郷土資料館」を訪ねてみてください。

花火資料館では、小さいながら熱心な解説も聞けて、いかに日本の花火がオリジナリティに富んだ素晴らしいものかわかります。回向院のすぐ近くです。7~8月は毎日オープンしています(無料)。

■両国花火資料館
墨田区両国2-10-8 住友不動産両国ビル1F 墨田区文化観光協会 内の紹介

江戸時代の花火の様子については
■隅田川の花火展
開催中~9月24日(火)すみだ文化郷土資料館


■今年の花火大会については
東京花火カレンダー2007

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