2度焼け落ちた五重塔
跡地には、往年の五重塔の写真も貼られていた。谷中のランドマークであっただけでなく、東京の風景のよりどころであったことが偲ばれる
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最初に五重塔が完成したのは、正保元年(1644)。しかし当時の江戸のまちのほとんどを焼き尽くした、明和9年(1771)の目黒行人坂の火事で焼失してしまいました。(行人坂についてはガイド記事「大円寺」をご覧ください)
しかし、やはり人々にとって、大事なものだったのでしょうねぇ。寛政3年(1791)には再建されています。総ケヤキ造りで高さ34.18メートル。これが、露伴の小説のモデルにもなった、関東でも一番の高さを誇った五重塔です(参考までに、新幹線からも見える京都の東寺の五重塔は57メートルだそうです)。
この東京一とも言われた五重塔は、関東大震災も、第二次大戦もくぐり抜けましたが、昭和32年7月9日、心中の末の放火により、またもや火に包まれてしまいました。そしてそれ以来、再建されていません。現在は、中心と4本の柱の礎石だけが残り、周囲は小さな公園になっています。
「明治3年の実測図が残っており復元も可能である」
草が茂り、礎石だけが残る
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いつの日か、期待してもいいのでしょうか。平成5年に建てられた東京都教育委員会の解説板の一文です。
もし生きているうちにその日がきたなら、現場に立ち会ってみたいものだなぁ。
かつての五重塔の写真を見ながら、思わず空を仰いでしまいました。
また、 先ほどの大仏様は、かつてはこの五重塔のそばにいらっしゃったようです。
現在、都内には池上本門寺、上野寛永寺、浅草寺と五重塔が残っています。五重塔があるだけで、そこには気高い空が生まれる気がします。
いずれ、改めてほかの五重塔もめぐってみましょう(三重塔などは他にもいくつかあります)。
季節を映す谷中の墓地
さて、ここまで来たなら、谷中の墓地もひとめぐりしてみたいもの。
墓地の中を貫く道は生活道路として、また谷根千へと続く散策の道として、天気の良い昼間には多くの人が行き交います。
春の桜も見事ですが、むしろなんとはない季節の、ゆるりとした時間がいい。墓地の上に広がる空は、四季折々を映してくれます。
管理事務所で、著名人のお墓の位置が書かれたマップをいただいてから歩くといいですよ。
埋葬されている主な著名人はちょっと思い浮かぶだけでも、自由民主党を結成した元総理大臣の鳩山一郎、日本を代表する実業家、渋沢栄一、日本画壇の巨匠、横山大観、植物学者の牧野富太郎・・・。ユニークなところでは、明治の毒婦と呼ばれた高橋お伝、オッペケペー節で知られる川上音二郎などもここに眠っています。お伝と、音二郎のお墓は、さくら通り沿いにあるので、お参りしやすいでしょう。
また、中程には徳川15代将軍慶喜のお墓もあります。葵の御紋がついた門に閉ざされていますが、立派な墓域を訪れる人はあとをたちません。
こうしてみると雑司ヶ谷霊園などに比べ、近代文学者などは少ない印象ですね。
天王寺の話から少しそれてしまいましたが、前述したように、ここもまたかつては天王寺の境内だったわけで、そう考えながら歩くと、また歴史への感慨もひとしおです。
また、天王寺は、谷中七福神のうちの毘沙門天もまつっており、お正月にもでかけるチャンスが多いことでしょう。
散策の後は、さくら通りをまっすぐ歩き、上野桜木町、言問通りを渡り、上野へ抜けるか(この道は上野公園内に通じています)、墓地の中を左に折れ、山手線の線路を渡って根岸へ向かうのもよいでしょう。
いずれにしろ、ここは旅の始まりとしてふさわしいと感じられる場所でした。
■護国山天王寺
住所:台東区谷中7-14-8
交通:JR山手線「日暮里駅」
MAP:Yahoo!地図