沿道はたくさんの人でうめつくされます |
トリビアの泉・葵祭編
■祭りの名前の由来
江戸時代の1694年(元禄7)に祭が再興されたのち、祭当日は内裏神殿の御簾(みす)をはじめ、御所車(牛車)、勅使・供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉と桂の小枝で飾ったことからきています。それまでは、賀茂祭と称されるてました。
■祭りは、中世には衰微していた
平安時代中期には、「祭り」といえば葵祭をさすほど隆盛を極めていましたが、鎌倉、室町時代には衰え、戦乱期に入ると行列は姿を消してしまいました。江戸・元禄期に再興されたましたが、明治2年の東京遷都で行列は中止、政府の京都活性化策として明治17年に再び復活しました。第2次大戦で中止され社頭の神事だけが続けられていました。戦後、行列が巡行するようになったのは昭和28年からです。
■行列の構成は?
行列は、本列と斎王代列に大別され、本列は勅使(近衛使、位が一番上の人)を中心にした列、斎王代列は女人列といわれ斎王代を中心にした列です。この行列の詳しい説明は、こちらのサイトでチェックしていただき、できればプリントアウトしてみながら見学するとわかりやすいかと思います。
■葵祭は、3つに構成されています。
祭儀は、宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀の3つからなり、現在宮中の儀は省かれ、路頭の儀と社頭の儀だけがおこなわれています。 路頭の儀というのがいわゆる行列の事。そして社頭の儀は、行列が上、下両社に到着した際、それぞれの社頭で行われる儀式の事です。勅使が、御祭文を奏上し御幣物を奉納したり、さらに平安調を偲ばせるみやびな雰囲気のなかで、神馬の引き回し、舞人による「あずまあそび」の舞が奉納される神馬の引き回し、舞人による「あずまあそび」の舞が奉納されます。
これは、一般に見学できませんが、申し込み許可を得れば少数ですが有料で見ることが出来きるので問い合わせをしてみてください。
斎王代や女官の方々の姿は華やかな一場面です |
葵祭の主役で毎年注目される斎王(斎院)は弘仁元年(810)、嵯峨天皇の皇女、有智子親王(うちこないしんのう)を初代に制度が定められました。その後、絶えることなく後鳥羽天皇の皇女、禮子内親王(いやこないしんのう)の建歴2年(1212)まで三十五代、約400年間続いた斎王制度は、葵祭を中心とした上賀茂、下鴨神社の祭祀への奉仕でした。葵祭の路頭の儀(行列)に斎王代列が復活するのは昭和31年(1956)、当然ながら皇女がその役に付く訳ではなく、京都在住の未婚女性から選ばれます。この為現在では斎王ではなく斎王代と「代」の字が添えられます。今年の第51代「斎王代」役は、今熊野観音寺住職の三女の派遣社員の方に決まりました。
■番外編■
2004年の葵祭では、御所を出る手前で行列の馬が大勢の観覧の人に興奮し、進行方向とは逆に疾走し車にぶつかったというハプニングがありました。車を運転している人もびっくりだと思います。