「悪妻」が消えた現代社会?
結婚した途端に「妻」でしかなくなる、「母」でしかなくなるといった極端なことは起こらないはず。でも、結婚して数年が経ち、ふと振り返った時、そんな気持ちにとらわれてしまうのも事実です。誰でも「自分らしさ」を手放したくはありませんし、役割にとらわれない感性や、心の自由をなくしたくもありません。誰も、望んで「自分らしさ」を手放しているわけではないと思うのですが...。
「自分らしさを失う」原因は、どこにあるのでしょうか。
「改姓」を例に取って考えてみましょう。誕生以来数十年間、当然のように名乗っていた親の姓を、結婚と同時にほとんどの女性が、さしたる疑問も持たずに、男性側の姓に変えてしまいます。姓による一体感と、それにともなう家庭観は決して否定しきれるものではありませんが、「結婚する前は彼と同じ姓を名乗ることへの憧れが強かったけれど、いざ改姓してみると...」という女性もまた多くいるようです。通称姓の使用も、法的手続きや身分の証明のややこしさなど、決して良いことずくめではありません。姓なんて、「たかが呼び名」であると割り切ってしまえばいいのですが、深く考えずに「みんなそうしているから」といった気持ちで受け入れてしまうところから、安易な「自分らしさの放棄」が始まっているのではないでしょうか。
過去、父権や家意識の強かった時代には、そのような「女三界に家無し」的な潔さが美徳とされ、世間の通例におとなしく従う女性は「良妻」、自己主張の強い女性は「悪妻」とされてきましたから、プレッシャーが強い分、反発する女性は本気で反発していたのでしょう。むしろ現代女性の方が、そういった激しさを失ってしまっているかのようです。つまり、一目で悪妻予備軍とわかる女性が少数派になって、一見すると良妻、でも、実は悪妻たる自覚が今のところない、という女性が増えてきただけ、ということです。結婚当初は「改姓」に同意しても、後になってもやもやしたものを抱えるというのは、その典型的なパターンではないでしょうか。