練馬駅北口、昭和が終わった日の記憶
練馬駅北口にできた歩行者用デッキ。この下にはバスターミナルがある |
実はこの駅前は思い出深いところでもあるのだ。何しろ、昭和64年1月7日、すなわち昭和最後の日、私はここにいた。
練馬駅の北側には、練馬文化センターという施設がある。当時高校生で吹奏楽部に所属していた私はその日、アンサンブルコンテストというものに出場するためにこのホールに来ていたのだった。曇り空の、とても寒い日だった。
当時はまだ地上駅だったはずだが、その様子はほとんど記憶にない。しかし、「練馬銀座」というアーチがかかった北口付近の商店街にはなんとなく見覚えがある。
そういえばあの日、この商店街の中にあった中華料理店で、部活の仲間たちと食事したことを思い出した。それは古びた佇まいの店で、味などはまったく覚えていないが、店内のテレビでは、昭和の終焉を伝える特番が流れていた。
たしか駅のすぐそばだったはずなのだが、それらしい店はない。真新しいマンションができていて、そのあたりだったかもしれないと、近くにあった昔ながらの洋品店に入り、中にいた店主に尋ねた。しかし「あったにはあったけど、もう30年くらい前じゃないかねえ」と、話がかみあわない。
もしその店を見つけたらチャーハンでも食べて帰ろうかと思ったのだが、店の名前もわからないのだから仕方がない。
昔の面影を残す商店街は「練馬銀座」。木造の店舗もあった |
ふらふらと歩いていると、商店街の裏に寺があった。その寺のものらしい掲示板には、こんな句を記した紙がポツンと貼ってある。
人生一生 酒一升 あるかと思えば もう空か
まるで、今日私がここへ来るのを知っていたかのような啓示ではないか。
まだまだあると思っていた人生も、あの日から確実に20年分減ってしまっているわけだ。その間に、一体どれだけのことができただろうかと、神妙な気分でしばし立ちつくしていると、くしゃみが出た。
どうも背筋がゾクゾクするようだ。寒い中歩いたりしたのでカゼをひいたのかもしれない。さあ帰ろう。酒ビンが空にならないうちに。
『東京「枝線」紀行~通勤電車の横道へ』は、シリーズでお届けします。
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東京「枝線」紀行【1】東武鉄道・大師線
東京「枝線」紀行【2】東京メトロ千代田線・北綾瀬支線
東京「枝線」紀行【3】京成電鉄・金町線
[関連サイト]
■練馬駅・豊島園駅付近の空中写真(昭和49年撮影)
国土交通省・国土画像情報より。画像の中央付近に豊島園があり、豊島園駅には列車が停まっている。カーブを描く豊島線もよくわかる。西武池袋線はまだ高架化前で、練馬駅(画像右下)も地上にある。練馬駅の北側には、後に練馬文化センターが建つ広い空地が見える。
■としまえん 公式ホームページ
豊島園駅前にある遊園地。
■ユナイテッド・シネマ としまえん
豊島園駅前にある映画館。