15年前の旅、追憶の客車列車
このあたりの車窓を眺めていると今から15年前の旅を思い出す。夏、友人と東北地方を巡っていた時のことである。台風の直撃を受け、乗っていた列車が駅で一晩中足止めを喰らってしまい、予定を大幅に変更せざるを得なくなった。それで仙台から鈍行列車で盛岡へと向かったのだが、当時、まだこのあたりには電気機関車が牽引する「客車列車」がかろうじて残っていた。
通称「レッドトレイン」と呼ばれていた赤い塗装の客車は、台風一過の夏空のもと、北上盆地を快走した。この車両には冷房はない。だから、窓を全開にして、風を受けながら走った。暑かったけれど、気持ちがよかった。夏の旅を思いきり全身で感じることができた。
今乗っているのは、窓の開かないロングシートのワンマン列車だ。もちろん冷房が利いている。どちらが快適かは比べるまでもないだろう。昔を懐かしんでばかりいてもしかたがないけれど、どちらの旅がより思い出に残るのか、それは今のところわからない。
「米の王様水沢米」という大きな看板が車窓を流れる。列車は、北側に防風林を従えた大きな農家が点在する、穀倉地帯を走っている。
金ケ崎駅でシートの端が空いたので、そこへ座らせてもらった。座ると気が緩むのか、たちまち眠った。
盛岡駅でまた乗り継ぎ大移動 |
ということは、ちょうど1時間ほど眠ったことになる。北上駅も花巻駅も停車したのを知らない。我ながらよくそんなに眠れたものだ。
つながっているのに分断された盛岡駅
南部鉄器の風鈴が下がる盛岡で、9本目の列車に乗り継ぐ。ここから八戸まではJRではなく、第三セクターの路線だ。もともとは一本の東北本線であったのだが、東北新幹線の八戸開業時に、並行在来線としてJRから経営分離された。しかも、岩手県内と青森県内では別会社である。ただ、今も線路はつながっているから、東京と北海道を結ぶ寝台特急や貨物列車は、そのような区間であっても以前と変わりなく往来している。
IGRいわて銀河鉄道の乗り場は少しわかりにくい(盛岡) |
だから、初めて乗る客は必ず迷ってしまう。折しも、若い女性の旅行者が、「北海道&東日本パス」を握りしめて右往左往しているではないか。乗り継ぎ時間が短いから、余計に焦ってしまうのだ。
私は数回来ているので迷うことはないが、ここで弁当を買っておかないといけない、と思い売店に立ち寄ったりしているうちにギリギリになった。まもなく八戸行き発車です、と駅員が叫んでいる改札に慌てて駆け込んだ。
岩手山に襟を正すも、ようやく旅は半分…… >>