どうせ立つならこだわりの場所へ?
一ノ関15:27→16:56盛岡
乗り換える列車ははるか向こう(一ノ関) |
この先へ行く乗客はしかたなく皆ぞろぞろと歩いて行くが、乗り換え時間は5分しかないのだ。これではお年寄りなどは間に合わないこともあるかもしれない。せめて同じホームで乗り換えられるようにするとか、もう少し改善の余地があると思う。
駅弁の売れ行きは今ひとつかも?(一ノ関) |
「潮騒三陸あわび弁当」など思わず手をのばしかけるが、残念ながら次の列車もロングシートである。しかもすでにかなり立ち客がいる。結局買わずに列車に乗り込んだ。やはりこういう車両では駅弁の売れ行きも芳しくないだろう。
そんなわけで、ここまで来てとうとう立つことになった。
どうせ立つのなら、車両の一番前に立って前方を眺めるのがよい。これを「かぶりつき」という。おもに小さな子どもがよくやる行為で、大人がやっているといかにも鉄道マニアに見えるから、本当は少々恥ずかしいのであるが、盛岡まで立つかもしれないのだから、背に腹は代えられない。
しかしこの列車はワンマン列車で、運転席付近に立っていると乗降客の邪魔になるし、そもそもあまり窓に近付けない。こういう場合は、後方展望にかぎる。というわけで、列車最後尾にある運転席脇のスペースに収まった。ただし、このスペースは地元の高校生などがよく座り込んでいる場所でもある。
見えそで見えない北上川
『やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに』と、啄木が詠んだ北上川は、岩手県の中央を南北に流れ、岩手の人々にとって母なる川である。でも、一ノ関あたりからの東北本線は、130km以上にわたってこの北上川の近くを走るのに、川面はほとんど見えない。
北上川はしばしば大水害を引き起こしてきた川で、特に一ノ関・平泉付近では大きな被害を出したこともあった。東北本線も度々被害を受け、新幹線がない時代は、その度に交通が寸断された。川が見えないのは、それを防ぐための大きな堤防が築かれたからでもある。
だから北上川の眺めにかぎっては、高架上を走行する東北新幹線のほうが勝っている。それでも一生懸命眺めていたら、前沢駅の手前で一瞬だけ、その悠々とした流れが目に入った。
東北本線、プチ追憶の旅路 >>