上野駅、栄光の地平ホームで想う
上野発7時00分の列車で出発すると、時間的には最短で青森に着けるのだが、これはあまりにも乗り換えの接続が良すぎて食事の時間もろくにとれない。それに、一本でも乗り遅れたりしたら直ちにゲームオーバーである。途中で何があるかわからないし、ひたすら乗り継ぐだけではつまらないから、少し余裕を持って、上野発5時47分の列車で出発することに決めたのだった。
自宅最寄りの東武東上線東武練馬駅を4時54分に出る上り始発列車で池袋へ向かう。JR池袋駅の自動改札に「北海道&東日本パス」を投入して、旅は人知れず始まった。
上野駅地平ホームはガランとしていた |
最初に乗る上野発宇都宮行の電車は、高架上の5番線から発車するが、その前に、地平ホームへ挨拶をしておく。かつて北へ向かう長距離列車が次々に発着し、繁忙期には床が見えないほど多くの乗客であふれかえったホームだ。高度成長の時代には、「集団就職列車」からたくさんの若者たちがここに降り立った。
まだ朝早いからガランとしている。ちょうど、みどりの窓口のシャッターが開き始めた。
『ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく』
地平ホームの一画に、石川啄木の歌を刻んだモニュメントがある。かつての上野駅には、東北の香りが漂っていた。ここに来れば、東北弁が飛び交い、同郷の人々に会うこともできたわけだ。
啄木の歌碑の向こうに、東北へ、そして北海道へと続く線路がキラリと光った。
石川啄木の歌が刻まれた上野駅のモニュメント |
東北本線の全線複線電化が完成したのは1968(昭和43)年のことで、同年10月の時刻表(復刻版)を見ると、朝から特急・急行列車がずらり並んでいて壮観だ。
東北本線の全線を走破する上野~青森間の普通列車に関しては、この時に消滅している。その前年、1967(昭和42)年10月の時刻表(復刻版)には2往復がまだ健在で、下り列車は次の2本ある。
◎125列車 上野11:12発 青森 7:48着
◎129列車 上野20:48発 青森16:58着
どちらも青森着は翌日という、何とも気が長い列車である。125列車の場合、青森から青函連絡船に乗り継ぎ、函館から札幌行の普通列車で札幌に着くのは2日目の23時59分で、所要時間は約37時間である。
今回の旅の所要時間は約24時間(青森~札幌間は急行列車)だ。この40年の間に蒸気機関車も客車列車もなくなり、青函連絡船は青函トンネルになった。それで13時間の短縮というのは、思ったよりも少ない気がする。
上野からの旅立ちは、少し贅沢に。 >>