東京と言えば、誰しも高層ビルが林立する大都会をイメージすることでしょう。「コンクリートジャングル」なんていう古い言葉もあり、もう東京の木造駅舎は絶滅してしまったと思っているかもしれませんが、なかなかどうして、探せばまだまだ木造駅舎ががんばっているのです。
残念ながらまもなく消えてしまうものがあるのは事実ですが、そうでないものはこれからもずっと残って欲しい、いや残さなくてはいけない、そんな駅舎たちをご紹介しましょう。
もっとじっくり見るべし!東京最古の木造駅舎
原宿駅(はらじゅく・JR山手線)
代々木の森の懐に建つ原宿駅 |
明治神宮の最寄駅でもあり、渋谷や表参道にもほど近いこの場所に原宿駅が開業したのは1906(明治39)年ですが、現在の駅舎は関東大震災の翌年、1924(大正13)年の建築。当時は屋根の上にある塔が遠くからでも見えたことでしょうが、それよりも高いビルが林立する現代では、あまり目立ちません。
お正月三が日だけ使用される初詣用臨時改札(2003/01/01撮影) |
また、原宿駅から少し新宿寄りに行ったところに不思議なホームがありますが、これは皇室専用の「宮廷ホーム」。数年に一度、特別編成のお召し列車で出かける時だけ使用されるという幻のホームです。
日中はおびただしい数の若者に取り囲まれる原宿駅。駅舎内は狭く、いつもごった返しています。もとよりゆっくりと駅舎など眺めている人はいないようですが、見られなくてはもったいなさすぎる、全国的に見ても数少ない貴重な駅舎です。
開 業:1906(明治36)年10月30日
所在地:東京都渋谷区神宮前
地 図:Yahoo!地図情報
保存か解体か?危機に立たされた赤い三角屋根
国立駅(くにたち・JR中央本線)
街づくりの中心となった個性的な駅舎 |
かつては雑木林にすぎなかったこの辺りも、駅開業後すぐに東京高等音楽学院(現在の国立音楽大学)が移転して来たのをはじめ、翌年には東京商科大学(現在の一橋大学)が誘致されるなど、この駅を中心に学園都市として発展を始めます。
大きな三角屋根が特徴の国立駅舎は、1926(大正15)年の開業当時からのもので、東京都内では原宿駅に次いで2番目に古い木造駅舎なのです。原型とは若干異なる部分もあるようですが、左右非対称の屋根がとても個性的。まわりに何もなかった頃は、たいそうモダンな建物だったことでしょう。
このように歴史ある貴重な駅舎ですが、現在進められている中央本線三鷹~立川間の連続立体交差事業に伴い、取り壊しの危機にさらされています。
街のシンボルとして愛されてきた、誇りある名駅舎を次世代へ継承しようと、保存・活用する道が模索されました。その結果、一時は「曳家(ひきや)」という方法での保存が決まり、建物の取り壊しは免れたとホッとしたのもつかの間、なんとその予算が市議会で否決されてしまったため、話はご破算に。
駅舎は駅にあってこそ意味がある |
JR側からは、「解体再築方式」(解体時に一部部材を保存し再築時に再利用する方法)が提示されていますが、この方法で再築されたものは「複製品(レプリカ)」でしかなく、建物全体での文化財的価値はまったく失われます。そもそも防火地域上木造での再築はできず、まったく別のものになってしまうのです。
いっそどこか他の場所に移築してしまえば簡単なのかもしれません。しかし駅舎は駅になければ死んだも同然。剥製にされた動物に愛情はわきません。特にこの国立駅舎の場合には、景観上ここにあることの意味が特別大きいわけですからなおさらです。
こうしている間にも工事は進み、10月8日に予定されている線路切り替え工事をもって現駅舎は使用が停止されます。残された時間はあとわずか。限られた時間の中で落としどころを探るべく、協議が続けられています。
開 業:1926(大正15)年4月1日
所在地:東京都国立市北
地 図:Yahoo!地図情報
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