マンション価格は「買う人がいるか」で決まる
都心部において止まるところを知らないマンション価格の上昇。その理由として挙げられるのが原価の値上がり。土地の取引価格が上がり続けているし、工事費特に人件費の値上がりも激しい。それに伴い、分譲価格の上昇は仕方がない、というわけだ。その説明を聞くと、マンション価格はシビアな計算によって価格が決まり、今は分譲価格を上げざるを得ない状況なのだろう、と納得してしまう人が多いはずだ。分厚い計算書の束を前に、断腸の思いで値上げを決めるデベロッパー……が、そのような姿は幻想にすぎないといったら、どうだろう。
ズバリ明かそう。いくら原価が高くても「その値段では買わない」とそっぽを向かれたら、値上げはできない。それが、経済の鉄則である。価格を上げ続けることができるのは、「高くしても、買う人がいる」から。具体的には、次のようなことが起きているためだ。
――最初は70㎡の3LDK住戸を8000万円程度で販売する計画でいた。しかし、モデルルーム見学者に予算を聞くと、もう少し高い金額を想定しているようだ。なので、第1期で販売する3LDKの価格は1億円程度にしてみた。
高めの価格設定となったのだが、それでも購入希望者が殺到し、抽選販売となってしまった。なので、第2期では3LDKの価格を1億2000万円とした。それも大人気だったので、第3期では3LDKが1億4000万円に――都内の新築分譲マンションで、実際にあった出来事だ。
場当たり的というか、ずいぶんいい加減だなあ、と思う人が多いだろう。しかし、都心マンションの人気が上がり、価格も上昇しはじめたのは2015年あたりから不動産業界では「よく聞く話」だった。
今年、2025年には、都心部で売り出した超高層タワーマンションの第1期販売が「割安」と判定され、購入希望者が殺到し、100倍以上の抽選住戸が出るなど大人気となった。そこで、次の販売から2割程度価格を上げたら、販売状況が落ち着いた……。
なぜ、そのような事態が生じているのか。「多少ならまだしも、2割も価格を上げるなんて、そんないいい加減なことがあるのか」と驚く人が多いだろう。
実は、こういった調整が可能になったのは、比較的最近で2007年以降なのである。どういうことか説明しよう。
マンション価格が「青天井」になった日
2007年3月、日本の住宅事情を変える大きな出来事があった。それは住宅金融公庫が廃止されたことだ。住宅金融公庫は住宅金融支援機構へと変わり、融資は民間銀行の自由な住宅ローンが中心となった。ズバリいって、影響力が落ちたのだ。
住宅金融公庫があった時代――、新築分譲住宅の大半は「公庫融資付き」で販売された。公庫融資を利用することを前提で分譲されたので、購入者は、たとえ100万円でも公庫融資を受けることが求められた。「公庫融資付きだけど、全額キャッシュで」という買い方が認められなかったのだ。
住宅金融公庫融資という国の融資を受けるため、一部のマンション(ワンルームや特大サイズの住戸)を除き、「マイホームを買うため」という大前提が守られた。さらに、住宅金融公庫は、不動産会社にもいくつかの制約を設けた。新築のマンション、一戸建てのつくりや広さに規制を設けたし、価格も監視した。良好な新築住宅を順当な価格で販売することを求めたのだ。
新築住宅を「住宅金融公庫の融資付き」で販売するためには、建物の審査を受け、販売価格の承認も受ける必要があった。そして、一度決めた販売価格は変更することがむずかしかった。「当初予定より安くする」ならともかく、「当初予定より高くする」など言語道断。決して許されなかった。
「売り出したら、購入者が殺到した」という状況になっても、同じ値段で売り続けなければならなかったわけだ。投資目的で購入することができず、売れ行きによって価格が上がることもなかったので、マイホームをなるべく安く買いたいと考える購入者にとってはよい時代だったといえる。
しかし、住宅金融公庫がなくなり、住宅金融支援機構に変わったことで、状況が大きく変わった。
投資目的で都心の超高層タワーマンションを買う人が増えたし、人気の物件は販売中に価格を上げることが当たり前に行われるようになってしまった。となると、「住宅金融公庫をなくしたことが間違いだった」と思われがちだ。
しかしながら、住宅金融公庫が存続し、新築住宅が以前と同じように売られていたら、いろいろと困ったことが起きたはずだ。
不動産価格上昇を容認した国の思惑
もしも住宅金融公庫が存続していたら、新築のマンションも一戸建ても買い手が大幅に減り、不動産業界も建設業界も不況に陥った可能性が高い。というのも、新築住宅を買う人は年とともに減っていったと考えられるからだ。日本の住宅は、昭和後期から質を高め、寿命を伸ばしてきた。
昭和中期まで建売住宅は20年程度で、分譲マンションは40、50年で建て替えられた。それが今、少なくとも70年以上の耐久性を備えるようになった。その結果、一生で1軒、もしくは2世代で2軒を使うことができる。すると、日本の新築住宅は売れ行きが先細りになったはずだ。そうなると、不動産会社も建設会社も困るため、新築住宅の販路を投資向けに広げる必要があった。
都心マンションを投資用に販売し、その価格が上がれば、「貯蓄から投資」の動きを進めることになる。また、デフレからインフレに移行する上で、「建設費上昇」や「設備機器価格上昇」の受け皿としてもマンションの価格上昇は好都合だった。
だから、都心の超高層タワーマンションを中心にマンション価格が上がっても国は歯止めをかけなかった。「実需から投資」は、時代が求める動き。その動きを進めるため、住宅金融公庫は役目を終えたことになる。
一方で、住宅金融公庫が存続していたら、新築マンションの価格が販売しながら値上がりしてゆくという状況は生まれなかっただろうに、という残念な思いもある。
ちなみに、平成バブルのときも、新築マンション、新築建売住宅は住宅金融公庫が値上がりを止めた。当時、10倍以上に値上がりしたのは、住宅金融公庫を利用せずに売買された中古マンションや中古の一戸建てだった。
新築マンション、新築建売住宅は住宅金融公庫融資が歯止めをかけたため、値上がりは2倍程度まで(土地の取引価格が上がったので、その程度の値上がりはあった)。だから、一般の購入者は新築住宅に殺到し、抽選倍率が跳ね上がったのである。
それに対して今は、新築住宅、特に都心の新築マンションのほうが値上がりは顕著だ。あまりにあからさまに値上がりするため、いい加減な価格設定をしているのではないか、と思いを抱く人もいるだろう。が、それは「買いたいという人が多ければ、価格は上がる」という経済原理が働いているだけの話。
その動きを止めていた住宅金融公庫がなくなったので、セオリー通りの動きが出てしまっただけなのである。マンション価格を左右する決定権は、今や完全に「市場の熱狂」へと委ねられている。
文:櫻井幸雄
住宅評論家。全国で年間200件以上の物件を現地取材し、書籍や雑誌、新聞、テレビなど幅広いメディアで活躍中。著書に、『知らなきゃ損する!「21世紀マンション」の新常識 5000件見抜いた男が教える「見方・買い方」』(講談社)、『不動産の法則 誰も言わなかった買い方、売り方の極意』(ダイヤモンド社)、『買って得する都心の1LDK 借りるのは「負け組」』(毎日新聞出版)など






