『お金のニュースは嘘ばかり 厚労省・財務省から外国人投資家まで』(高橋洋一著)は、日本人のお金をめぐるニュースを取り上げ、政治・官僚・マスコミの俗説・空論をぶった切る一冊です。本書から一部抜粋し、安易な最低賃金引き上げがもたらす悲劇について紹介します。
経済を知らない人々が掲げる、危険な“正義”
誰も覚えていないと思いますが、2024年、石破茂氏は自民党総裁選への出馬時に「2020年代に、最低賃金平均1500円を目指す」と宣言しています。石破首相は、自らのマニフェストを実行するのでしょうか? また無理に引き上げようとした場合、何が起こるでしょうか?
石破政権が発足してすぐに明らかになったのは、この政権が「左派」であることでした。左派政権の特徴は、雇用の重視を訴える点にあります。しかし雇用を生み出すための経済学的な原理について、知見がありません。
そこでわかりやすい賃金に目をつけ、経営者に対して賃上げをするよう迫るわけです。
では、雇用を生み出す原理とは何か。
答えは金融政策にあります。端的にいえば、利下げです。金利の引き下げはモノへの設備投資を促進し、人への投資すなわち雇用を増やすことにつながります。
経済学の究極の目標は、失業をなくすことにあります。
雇用を増やし、失業率を下げる金融政策の重要性を理解していないのが、左派の特徴といえるでしょう。
すでに証明済みの“失敗の方程式”
隣の韓国でも、かつて政権が金融政策への理解が足りず、賃上げに固執しました。2018年1月に最低賃金を16.4%まで引き上げてしまい、韓国の失業率は3.6%から1年後に4.4%まで上がってしまった。
日本でも2010年、民主党政権が同じ誤りを犯しています。前年の失業率などから導かれる適正な賃金引き上げ率は0.3%程度でした。ところが、左派政権である民主党はいきなり2.4%も引き上げてしまった。
無理な賃上げは雇用の悪化につながり、民主党政権の時代に就業者数は30万人ほど減少しました。
金融政策を重視し、就業者が300万人以上、増加した第二次安倍晋三政権とは対照的な政策です。
「リアル」を先に考えた安倍首相
石破政権を待っているのは、韓国の左派政権と同じ運命でしょう。2029年に賃金を1500円にするには、5年連続で7.4%の引き上げが求められます。ところが、1980年以降の日本の実績は最高でも6.9%、平均2.6%です。石破首相が宣言した目標はまず達成不可能でしょう。
最低賃金の引き上げ率は、基本的に前年のインフレ率と失業率によって導かれます。ただし、失業率には下限がある。端的にいえば、失業率の下限を2%台半ばとして、石破政権の目標を達成するには、インフレ率を5年連続で2桁以上にしないと無理です。
「理念」だけで国は動かない!
石破政権には、このような計算をする専門家はいないのでしょうか?安倍政権当時、首相は毎年のように「最低賃金をどれくらいまで引き上げられるか」と筆者に尋ねてきました。
上記の問いは、インフレ率と失業率の関係を示すフィリップス関係の簡単な応用問題であり、いつでもすぐに答えられるようにしていました。前述の最低賃金の引き上げに必要なインフレ率も、同じ公式を使って算出した数字です。
石破首相と同様に、野党も2019年7月の参院選において、立憲民主党が「5年以内に最低賃金を1300円に引き上げる」というマニフェストを掲げています。
れいわ新選組の場合、「最低賃金を1500円に引き上げる」でした。立憲やれいわが政権を取る可能性は小さく、過度に心配することはないでしょうが、よく似た政策が出てくることに驚きました。左派はとにかく「最低賃金引き上げ」という理念が先にあり、達成の手順を考えないところがあります。
その点、安倍元首相は「最低賃金引き上げがどこまでなら無理なくできるか」という「リアル」を先に考えていました。
石破政権は、立憲民主党やれいわ新選組と同じく「先に理念ありき」で、リアルな認識や具体的な手順をもちません。典型的な左派政権が現状の方針で突き進めば、文在寅政権や民主党政権のように墜落するのは目に見えています。
高橋洋一(たかはし よういち)プロフィール
株式会社政策工房会長、嘉悦大学教授。1955年、東京都生まれ。東京大学理学部数学科・経済学部経済学科卒業。博士(政策研究)。80年、大蔵省(現・財務省)入省。大蔵省理財局資金企画室長、プリンストン大学客員研究員、内閣府参事官(経済財政諮問会議特命室)、内閣参事官(首相官邸)などを歴任。小泉内閣・第1次安倍内閣ではブレーンとして活躍。2008年に『さらば財務省!』(講談社)で第17回山本七平賞を受賞。