小説、そして光州の歴史を深掘りする
2日目は主に光州広域市の市内を徒歩で巡った。『少年が来る』を手にして歩く参加者の姿も見られた。まず向かったのは旧光州赤十字病院だ。激しい抗戦の現場となった錦南路から最も近い場所にあった総合病院で、当時多くの犠牲者がこの病院に担ぎ込まれた。病床が足りず、廊下にも負傷者が横たわる状態だった。また重症患者を助けるため、多くの市民が献血に訪れ、その列は病院の外まで続いていたという。小説内でも描写されているが、 敷地内にある霊安室には遺体が収まりきらないほど死者も多かった。この病院は、単なる医療施設ではなく、光州の歴史と連帯の象徴として、現在も当時の姿のままで保存されている(2025年5月限定解放期間内に訪問。解放期間外は屋外のみ観覧可能)。 5.18民主化運動記録館では、5.18民主化運動45周年記念特別展「少年が来る」を観覧した。登場人物や小説への理解をより深めるための資料が展示されている。太極旗で覆われた棺、それを囲むように立てられたろうそく。小説の一場面を再現した展示が、私たちを今一度小説の世界へ引き戻す。
展示物に添えられた言葉の数々が、見る者に問いを投げ掛ける。「恥ずかしいという気持ちは誰のものでなければならないか?」「この世で最も恐ろしい良心」を私たちは今も忘れてはいないか、と。 展示の最後は、小説の中の好きな文章を写し書きする参加型ブースが用意されている。本をめくって、印象的だった部分を熱心に書く人、小説を読んだ感想を書く人、参加者はそれぞれの思いを展示の一角に残した(「少年が来る」特別展示は2025年10月19日まで)。 続いて訪れたのは全日ビルディング245だ。抗争当時マスコミ各社が入社していたこともあり、射撃の標的となった。戒厳軍はビル内の市民軍に向けてヘリコプターから射撃した。その時の銃弾跡がビルの内・外壁から270カ所も発見されており、 壁や床に間隔狭く撃ち込まれた銃弾跡を見ると、その攻撃がいかに激しいものだったかを確認できる。
『少年が来る』はあまりにも強烈な読書体験だったと話す青野さん(50代女性)は、以前一度見学に来たことがあるというが、「非常に衝撃を受けたのでもう一度ちゃんと見ておきたかった」と再訪の理由を教えてくれた。銃弾跡という紛れもない事実の痕跡を前に、事件の残虐性を思い知らされる。 屋上からは旧道庁と噴水台が望める。道庁はトンホが、そしてトンホのモデルとなったムン・ジェハク烈士が銃弾に倒れた場所でもある。最後の抗争で道庁に残っていた市民軍は約200人、対する戒厳軍の鎮圧作戦には2万人以上が動員されている。1980年5月27日、多くの死傷者を出して抗争は幕を下ろしたが、生き残った者も連行され拷問を受けるなど、事件の後遺症に苦しむ人が多かった。
以降も1987年に民主化を遂げるまで独裁政権は続く。そのときの社会の様子は第3章でも描かれている通り、出版物は検閲を受け、検閲課の壁には全斗煥(チョン・ドゥファン)の写真が掛かっているという有り様であった。
同じく第3章で登場人物の1人が「まだ事件から日が浅いのに、祭りでもないのに、噴水台から水を出してはいけないと思う」と役所に抗議する場面がある。参加者の1人、遠藤さん(20代女性)は、道庁前にたたずむ噴水台を見つめながら語ってくれた。
「実際に噴水台を前にして事件のことを考えてみると、事件の直後にこうして水が出ているのを見ることはつらいことだと感じました。実際に物語に出てくる場所に立ってみると、想像だけでは補えない部分を感じられます。光州は今、平和な雰囲気が漂っているけれど、それは皆が民主主義を守ってきたからなのだと思います。光州の方たちはいつもそのことを感じているのではないかと思います」
夜はトンホのモデル、ムン・ジェハク烈士の母キム・キルジャさんをはじめとする5.18犠牲者遺族「5月の母たち」、実際に抗争を体験した方々が出席しての晩餐会が開かれた。遺族の話に耳を傾け、旅を共にした仲間同士語り合うひとときを過ごし、2日間の日程を終えた。
ハン・ガン氏が読者に投げ掛けた問いの答え
今回の旅では、上記の場所以外にも多くの場所を訪れている。芸術文化の中心地としての役割を果たす国立アジア文化殿堂、民芸品を展示したビウム(Bium)博物館、創業90年の歴史を誇る光州劇場、民主化運動関連書籍をそろえた書店「少年の書」など、『少年が来る』の物語だけでなく、光州という都市に対する理解を深めた旅でもあった。ハン・ガン氏はノーベル文学賞受賞式で、「過去が現在を助けることはできるのか? 死者が生者を救うことができるのか?」という問いを読者にも投げ掛けてくれたが、光州の地でその答えを確信した参加者は多かったのではないだろうか。そして同時に1冊の本が、未来の私たちを救うこともあるのだと筆者は感じた。『少年が来る』をまだ読んでいない方には、手に取ってじっくり読むことをおすすめしたい。そしてすでに読んだ方には、今回の旅で巡ったように、いつか光州の地を訪れてほしいと思う。 ※1:出版社CUONが開催する文学をテーマとした文学ツアー。今回の文学紀行は7回目。過去には韓国大河小説『土地』(著・朴景利)や『庭の深い家』(著・金源一)などの作品の舞台を巡っている。
※2:一部インタビュイーは仮名
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