今回インタビューしたのは、雑誌やWebメディア、書籍などで活躍を続ける人気占い師・章月綾乃さん。占星術を使って運気を読み解く専門家である一方、ご本人もまた、迷いや葛藤を抱えながら、自分の道を切り開いてきました。
求められる役割を果たし、日々を積み重ねてきた章月さんの言葉から、変化の時代を生きるヒントを探ります。
<目次>
脚本家からの転身。「占い師」の道に進んだ理由
――占い師として20年ほどのキャリアをお持ちの章月さん。どのようなきっかけで占い師になったのでしょうか?章月綾乃さん(以下、章月):地元の高校を卒業後、戯曲を学ぶ学校に進み、演劇事務所に所属して脚本の仕事をしていました。でも半年ほどで、ある事情から挫折してしまって。その後に入ったのが、占い記事を制作するプロダクションだったんです。そこでゴーストライターとして7年ほど働き、最終的に独立しました。
占いの世界に飛び込むのに、何か特別なきっかけがあったかというと、そうではなくて。でも私は雑誌世代なので、巻末の星占いのページは必ず読んでいましたね。実は同じ制作プロダクションに2回応募していて、最初は落ちてしまったんです(笑)。2回目で無事採用され、占いライターとしてのキャリアが始まりました。
その会社でさまざまな記事を書いているうちに、西洋占星術をはじめとする占術の基礎が自然と身に付いて、気付けば個人でも仕事を受けられるようになっていました。今も当時から続いているお仕事がありますよ。
メディアで人気の占い師に。徐々に道が開けていく
――独立後は、人気メディアでの執筆や書籍の出版もされています。どのようにお仕事が広がっていったのでしょうか。章月:1本記事を書くと、ありがたいことに反響があって、「別の記事もお願いできますか」と声を掛けていただいたり、一緒に仕事をしていた方が別の会社に移って、そこでまた新たなご縁につながったり。そんなふうに、不思議と仕事がつながっていったんです。
自宅とは別にアトリエを持てるようになって、趣味にも時間を割けるようになり、少しずつ「自分のペース」ができていった感覚があります。
ただ、自分では「すべて順調」と思っているわけではなくて。むしろ「世の中の常識が分からない」という引け目のようなものを、今でもどこかで感じている気がします。家庭環境が不安定で、親がよく暴れていたので、幼少期はしんどい思い出ばかりです。
「大学に行きたい」と言えるような状況でもなかったですし、人との付き合い方も分からず、20~30代は人間関係の失敗ばかりでした。「仲良くなれた」と思っても、必ずどこかで関係が切れてしまって、そういうものなんだと今は割り切っていますね。
私はやぎ座なのですが、やぎ座は「大器晩成」といわれる運気です。子どもから大人になるにつれて生きやすくなってきた感覚は、まさにやぎ座そのものだなと感じます。
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