ケンカばかりしていた
パートナーとは中学生のときに知り合い、大学生になってから付き合い始め、結婚して20年というアサミさん(45歳)。つい先日、その夫が亡くなった。共働きのため、その朝も駅まで一緒に行き、乗換駅で「行ってらっしゃい」と手を振り合ったのに、その晩、夫は冷たくなっていた。「悲しいというより何が起こったのか事態を把握できませんでした。帰宅途中の駅のホームで倒れたんですが、大動脈解離で即死状態だったとか。その日は19歳になる娘の誕生日だったから、二人とも早く帰ってお祝いしようと言っていたのに……」
17歳の息子も伴って家族三人で病院に行き、冷たくなった夫の手を握った。付き合い始めてからも順風満帆で結婚に至ったわけではなかったし、結婚生活も波乱に満ちていた。
「ケンカばかりしていましたよ。ようやくケンカしなくなったのはここ数年かもしれない。でもそれだけ互いを知ろうとしてきたんだと今になると思います」
付き合っているとき彼が浮気したこともあった。社会人になってからは、アサミさんが勤務先の先輩に惹かれて別れを切り出したこともあった。それでもなぜか二人は完全には別れなかった。
浮気をしても帰ってきた
「彼は浮気したとき、『彼女の方がオレに従順で優しいから』と言ったんです。だったら彼女と付き合えばいい、さよならと言って別れました。でもその数カ月後、『やっぱりアサミとの方が楽しい』って。私も熟慮してよりを戻しました。社会人になってから私が惹かれた人は、とても大人だった。私が何を言ってもうなずいて聞いてくれて、いいアドバイスをくれた。だけどやはり数カ月後、この人といてもつまらないなあと思っちゃったんですよ。夫になった彼は私が愚痴ると、一緒になって愚痴ってくれるし、私が怒ると私以上に怒っちゃう。だから収拾がつかなくなって最後はケンカになるんだけど、思いの強さとか共感の仕方とかが同じだった。それがなくなると私は何のために生きているのか分からないなと思って」
結婚後に夫が浮気したこともあった。そのときアサミさんは、「あなたが浮気してるのは知ってる。調子に乗ってるんだと思うけど、その浮気が終わったとき私がいるとは限らないからね」と伝えた。闇雲に怒るつもりはなかったが、自分の心が冷めてしまう可能性も知ってほしかったという。
この人とやっていけるのは自分だけ
結局、夫は戻ってきたのだが、「ごめん」の一言もなかった。「謝れと言ったら、『謝るというのは間違ったことをしたときでしょ。僕は間違ってはいないと思う。きみの良さが改めて分かったから戻ってきた』と言うんですよ。憎らしいでしょう。だから少なくとも私は悲しい思いをしたんだから謝れと。そうしたら夫は『アサミは悲しがってはいない。自分だけ好きなことをしてと怒ってるんだ』って。じゃあいいよ、怒ってるよ。だから謝ってよと言うと、ぎゅっと抱きしめられてごまかされた」
それでも夫を憎めなかった。そもそも、結婚後だって互いに恋の1つや2つはする可能性があると腹をくくってはいたから。夫が自分以外の女性とうまくやっていけるとも思っていなかった。
「互いにそう思っていた。この人とやっていけるのは自分だけだって。二人ともわがままだし、そのわがままの方向性が同じというか、気持ちが分かってしまうだけに最後は何があっても許しあってきた気がします」
家事や育児についてのケンカはほとんどなかった。夫は大ざっぱだが器用な人で、「掃除なんて週に1、2回でいいよ」と言いながら、やるときは完璧にやってくれるのだ。成長した娘や息子が受験勉強をしていたころは、夜中にささっとチャーハンや具だくさんスープなどを作って差し入れていた。
言いたいことを言い合える関係
「私がちょっと大きな仕事を任されていた時期は、率先して家事をし、夜中に足をマッサージしてくれたこともあった。その後、夫が忙しいときは私が同じように頑張りました。いつもケンカしていたのは遠慮なく言いたいことが言い合えたから。でも致命傷になるような言葉は吐かなかったし、人格を否定するようなこともなかった」過去を引き合いに出して罵倒するようなことは絶対に言わない。それが暗黙のルールだったような気がすると彼女は言う。
「家族三人、今も立ち直れていません。私も仕事には行っているけど、魂が抜けてる感じ。息子は来年受験ですからなんとか励ましてやりたいんだけど」
このゴールデンウイークの前半、娘の提案で家族の思い出の場所を旅した。2泊3日のその旅で、アサミさんは少しだけ心が落ち着いたという。
「夫の不在には慣れませんが、頑張っていこうという気持ちにはなれた」
夫との信頼関係に不安を抱く女性たちに、「今、夫に死なれたらどう思うかと考えてみてもいいかもしれない」とアサミさんはつぶやいた。