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小田急向ヶ丘遊園「ロッキード式」モノレールが30年も運行継続できた理由

かつて、神奈川県内には異なる型式の4つものモノレール路線が建設され、モノレールの見本市のようだった。以下、『かながわ鉄道廃線紀行』の内容を一部抜粋しつつ、世界的にも珍しい「ロッキード式」が採用された向ヶ丘遊園モノレールについて見ていこう。

執筆者:All About 編集部

神奈川県は、「モノレール大国」ならぬ「モノレール大県」だったと言われて、ピンとくるだろうか。

神奈川県には、よみうりランドモノレール(1964年開業 アルヴェーグ式)、向ヶ丘遊園モノレール(1966年開業 ロッキード式)、ドリームランドモノレール(1966年開業 東芝式)、湘南モノレール(1970年開業 サフェージュ式)という4つのモノレール路線が建設された(湘南モノレール以外は、すでに廃止)。

しかも、4路線ともそれぞれ異なる型式が採用され、あたかもモノレールの見本市のようだった。
小田急線の向ヶ丘遊園駅付近を走行するモノレール車両(川崎市市民ミュージアム所蔵)

小田急線の向ヶ丘遊園駅付近を走行するモノレール車両(川崎市市民ミュージアム所蔵)

以下、『かながわ鉄道廃線紀行』(森川天喜 著、2024年10月神奈川新聞社刊)の内容を一部抜粋しつつ、世界的にも珍しい「ロッキード式」が採用された、向ヶ丘遊園モノレールについて見ていこう。

ロッキード式モノレールとは?

小田急電鉄の向ヶ丘遊園モノレールは、ロッキード式という珍しいモノレールだった。戦後のモノレールのほとんどが、騒音対策から走行輪にゴムタイヤを採用したが、ロッキード式は、通常の鉄道と同様、鋼鉄車輪が用いられた。

具体的にはコンクリート製の桁(けた)の上に、ゴムパットを介して1本の鋼鉄製のレールを敷き、その上を鋼鉄車輪(防振ゴムが挟み込まれた弾性車輪)の車両が走行するもので、バランスを取るために、上下2カ所の安定輪で側面から軌道を挟み込む機構を備えている。
ロッキード式モノレール断面図(出典:「日本モノレール協会誌」)

ロッキード式モノレール断面図(出典:「日本モノレール協会誌」)

この方式は、アメリカの航空機製造大手ロッキード社が考案し、日本の川崎航空機(現・川崎重工)などが出資する日本ロッキード・モノレール社が実用化したもので、世界でも向ヶ丘遊園モノレールと姫路市交通局モノレールの2路線以外に採用された例がない。

鉄車輪を使用するメリットとしては、まず、耐荷重性が優れていることが挙げられる(パンクの心配がない)。当時の運輸省の報告書によれば、鉄車輪式はゴムタイヤ式に比べて最大約1.5倍の輸送量となる。また、長距離、高速走行等の面でも有利である。

さらに車両構造の面では、アルヴェーグ式は、直径の大きなゴムタイヤが客室内に突出して床面がフラットにならず、有効客室面積が狭くなるが、鉄車輪ならばこの問題が解消される。

一方、鉄車輪式の最大のデメリットはゴムタイヤに比べて走行時の騒音が大きい点にあり、都市の街路を通す場合に大きな課題となる。
ロッキード式モノレールの諸元表

ロッキード式モノレールの諸元表

これらの特徴を総合すると、ロッキード式モノレールは都市内交通よりも、一般の鉄道に近い輸送需要に向いた仕様だったと理解できる。日本ロッキード・モノレールの説明資料にも、以下の一文がある。

「国鉄または私鉄における近郊輸送の行きづまった線区において、例えば、その上下線間に本方式を増設することにより、土地の新規確得を最小限にして効果的な輸送力の増強がはかれることになる」

「ロッキード式」は建設費が安かった?

小田急電鉄が向ヶ丘遊園モノレールの敷設免許を申請したのは、1964(昭和39)年の11月だった。それまで向ヶ丘遊園駅から向ヶ丘遊園正門間(約1.1km)の来園者輸送を担っていた蓄電池式の豆電車を道路改修工事の関係で廃止せざるを得ず、これに代わる交通手段として採用が決まったのが、ロッキード式モノレールだった。

当時、モノレールの規格として有力視されていたアルヴェーグ式ではなくロッキード式が採用されたのは、建設費が安かったのが理由だと言われている。小田急の資料によれば工事費は約2億4000万円であり、豆電車の線路敷をそのまま活用したことを考慮してもなお、非常に安く感じる(参考:同時期に開業した横浜ドリームランドモノレール5.3kmの総工費は25億円)。

導入の経緯について、小田急電鉄企画室課長(当時)の生方良雄氏が「鉄道ピクトリアル」(1970年4月号)に「(川崎航空機が)岐阜工場で試験線をつくりテストをしたが、後にそれを小田急が買い、向ヶ丘遊園の豆電車の代替として設置した」と記している。

設備を含め、どこまで転用されたのかは不明だが、少なくとも車両は、客室扉の配置などに若干の改造を行った上で試験線用のものを転用している。おそらく安く譲受されたのだろう。

加えて、当時の鉄道業界が、通常の鉄道と技術的に近い鉄車輪式のロッキード式を高く評価していたことも採用の後押しになったはずだ。向ヶ丘遊園の来園者輸送は、イベント時には相当の乗客数が見込まれ、また、ゴムタイヤ方式の札幌地下鉄も開業前だった状況を考えれば、技術的な実績に基づく安全性を重視した判断がなされたと見るべきであろう。
アルヴェーグ式の東京モノレール

アルヴェーグ式の東京モノレール

30年以上も運行継続できた理由は?

向ヶ丘遊園モノレールが開業したのは、1966(昭和41)年の4月。本来は120km/hのスピードが出る車両だったが、わずか1.1kmの路線であることから最高スピードは40km/hに制限され、ゆっくり、たくさんの乗客を運んだ。

その後、同じロッキード式の姫路モノレールが、経営不振から早々に姿を消した一方、向ヶ丘遊園モノレールは、2000(平成12)年2月に台車に老朽化による亀裂が見つかり運転休止されるまで、30年以上の長きにわたって運行が継続された(廃止は2001年2月)。ロッキード社がモノレール事業から撤退したため、部品供給もままならなかったはずだが、小田急は鉄道会社だけに、部品をある程度、自社工場で内製できたのだろう。

現在、向ヶ丘遊園モノレールの廃線跡の一部は、二ヶ領用水沿いの遊歩道として整備されており、遊歩道の植栽の間をよく見ると、所々にモノレールの橋脚跡であることを示す小さなプレートが埋め込まれている。また、終点の向ヶ丘遊園正門駅跡地は、「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」の敷地の一部になっている。
向ヶ丘遊園モノレールの橋脚跡に埋設されているプレート

向ヶ丘遊園モノレールの橋脚跡に埋設されているプレート

――編集部より――
書籍『かながわ鉄道廃線紀行』は、向ヶ丘遊園モノレールの運転士経験者へのインタビューを掲載しているほか、ドリームランドモノレールや横浜・川崎の市電など、かつて神奈川県に存在した11の鉄道路線の廃線跡を紹介しています。
かながわ鉄道廃線紀行

かながわ鉄道廃線紀行(森川天喜 著、2024年10月神奈川新聞社刊)

森川天喜 プロフィール
神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)、『かながわ鉄道廃線紀行』(2024年10月 神奈川新聞社刊)など

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