廃線跡の沿道には、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の伝説が残る簔笠(みのかさ)神社、自然豊かな厳島(いつくしま)湿生公園、冬季に6万株の菜の花が咲く吾妻山などがあり、気持ちよく歩くことができる。 以下、『かながわ鉄道廃線紀行』(森川天喜 著、2024年10月神奈川新聞社刊)の内容を一部抜粋しつつ、「けいべん」とはどのような路線だったのか、廃線跡を辿りながら、菜の花が見頃を迎えた吾妻山へ出かけてみよう。
「軽便みち」の記憶を辿る
秦野から二宮まで、およそ10kmの道のりを案内しよう。 まずは、専売局工場の跡地であるイオン秦野ショッピングセンターに向かう。湘南軌道の秦野駅は、県道を挟んで向かい側の現在はNTTの施設になっている辺りにあったが、秦野駅跡を示す案内板は、ショッピングセンター側に設置されている。ここから最初の停車駅である台町駅跡を目指して歩き始めるが、この辺りは地図を見ただけではどこが「軽便みち」なのか判然としない。
そこで、もうだいぶ前になるが、最初に歩いたときに近くの山口屋酒店(秦野市本町3丁目)のご主人、山口秀夫さんに尋ねると、「私は戦後の生まれで実際に軽便が走るところは見ていないものの、店の前の道(龍門寺脇の道)は昔から『軽便みち』と呼ばれていた」と教えてくださった。 酒屋の前の道を南下すると、間もなく県道に突き当たる。台町駅跡を示す案内板は、県道を渡った先の石材店の店先にある。専売局工場手前まで線路が延伸される以前は、この台町駅が「秦野駅」だった。
台町駅跡を過ぎると、軌道はそのすぐ南で、金目川の1支流である水無川を渡っていた。川を渡り、上大槻入口と示された交差点を右へ、旧道に入るとすぐに養泉院という寺院がある。その門前に「軽便みち」と刻まれた石柱が立っている。この辺りから道は、緩やかな上りになる。 養泉院のすぐ先で小田急電鉄のガード下をくぐり抜ける。湘南軌道が廃止になった大きな原因は、1927(昭和2)年の小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)の開業だった。ちなみに、湘南軌道の秦野駅がすでに存在していたため、新たに開業した小田急線の駅は「大秦野駅」と名づけられた。湘南軌道の廃線後もこの駅名のまま営業が続けられ、小田急線の駅が秦野駅に改称されたのは、1987 (昭和62)年になってからのことである。
ガードの先で新道と交差し、旧道をさらに行くと、やがて、右手に嶽(たけ)神社の森が見えてくる。神社の鳥居を少し通り過ぎたところに大竹駅跡を示す案内板があり、その説明によれば、この付近には「蒸気機関車に水を供給する水槽や待避線の施設」が設けられていたそうだ。神社の前からは、大山をはじめとする丹沢の峰々が、想像以上に大きく見える。
乗客も列車を押した?
大竹駅跡の先で再び新道と交わる。探索を続けるには、この先を横切る東名高速の秦野中井インターの南側に出なければならず、少しの間、「軽便みち」とお別れして、新道を進まなければならない。なお、秦野から続いた長い上りはインター付近で頂点に達し、この先は下りに転じる。東名高速の下をくぐったすぐ先に秦野市と中井町の境界がある。湘南軌道の廃止後、中井町には鉄道駅がなくなったこともあり、普段、この地を訪れる機会は少ないだろう。
東名高速をくぐって2つ目の信号から左手に分かれる旧道を進み、800mほど歩いた先の三差路付近に上井ノ口駅跡がある。駅跡の案内板の説明を見ると、この辺りは坂が多いため「客が降りて登りきれない列車を後押しするのどかな光景」も見られたと記されている。 上井ノ口駅跡の100mほど南にある蓑笠(みのかさ)神社は、ぜひとも立ち寄りたい場所だ。境内には「かながわの名木100選」に選ばれている御神木の大ケヤキをはじめ多くの緑があり、瑞々しい雰囲気に包まれている。参道に立つ案内板には中井町に伝わる、この神社の一風変わった名前の由来とされる次のような昔話が記されている。
蓑笠神社を後に先へ進むと、やがて、角にJA井ノ口支店がある井ノ口交差点に辿り着く。この交差点付近には、上下の列車がすれ違う「すり替え場」があったという。また、近くの井ノ口公民館には、「けいべん」の蒸気機関車の模型が展示されており、見学可能なので、立ち寄りをおすすめしたい。 さて、井ノ口交差点を通り過ぎた先の東側一帯に広がるのが厳島湿生公園だ。地元の人々から「弁天さん」として親しまれる厳島神社がまつられている島を中心に、清水が湧き出る湿地が広がっている。その昔、天照大神(アマテラスオオミカミ)の怒りに触れ、天上界を追放された素戔嗚尊が天降った場所が大山であったといわれている。「雨降(あふり)山」の別名を持つ大山はその日も雨が降っており、蓑と笠をつけた素戔嗚尊は山から南に向かって歩き、一夜をこの地で過ごした。次の朝、出立するときには雨も止み、素晴らしい天気になっていたので、尊はうっかりして蓑と笠を置いていってしまった。
シュレーゲルアオガエル、ホトケドジョウといった希少な生き物の生息も確認されており、5月中旬から7月上旬にかけての夜にはゲンジボタルやヘイケボタルの幻想的な舞を見ることもできるという。
厳島湿生公園の少し先で米倉寺という寺院の門前を通過し、葛川に架かる橋を渡る。橋を渡ってすぐの酒屋の少し先に下井ノ口駅跡の案内板がある。
田園風景と6万株の菜の花
下井ノ口駅跡を過ぎると、田園風景がいよいよ色濃くなり、今回の散策路の中で最も気持ちよく歩けるエリアに入る。昔懐かしい火の見櫓(やぐら)や、田園風景の中に溶け込むようにたたずむ森に囲まれた八幡神社などに立ち寄りながら歩を進める。午後の日が差し、水の張られた田んぼが白く輝く様子がことのほか美しい。深呼吸しながら散歩を続けると、やがて道は二宮町へ。今回の散策もどうやら終盤に差しかかったようだ。二宮町に入ると、少しずつ道の両側に家が増え始め、まもなく石材店の店先にある一色駅跡に辿り着く。
一色駅跡を過ぎると県道と合流し、一気に街中の風景に入り込む。しばらく県道を歩き、西友の手前から旧道に入ると、ほんの100mほど先の中里交差点の角に、最後の途中駅である中里駅跡の案内板がある。信号を渡り、そのまま新幹線の高架下をくぐって歩いて行こう。 途中の路肩に吾妻山の登山口(中里口)を示す道しるべが立っているのが目に入る。もし、12月下旬から3月にかけて、この地を訪れたなら、ぜひとも吾妻山への登山をおすすめしたい。山頂(標高136m)付近には、およそ6万株の菜の花が植えられ、菜の花畑越しにキラキラ輝く相模灘や、冠雪した富士山を望む絶景が楽しめる。
――編集部より――
書籍『かながわ鉄道廃線紀行』では、1906(明治39)年に馬車鉄道として開業し、1937(昭和12)年に廃止されるまでの湘南軌道(湘南軽便鉄道)の31年間の歴史を詳述しています。また、JR二宮駅まで廃線跡散策を続け、駅周辺の史跡を訪ねるなどしています。
なお、今年は吾妻山の菜の花の開花が遅れており、1月6日時点で1割程度の開花状況とのこと。
※サムネイル画像:秦野の水無川橋梁を渡る湘南軌道の列車(二宮町教育委員会所蔵絵葉書) 森川天喜 プロフィール
神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)、『かながわ鉄道廃線紀行』(2024年10月 神奈川新聞社刊)など
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