あらゆる物が自宅まで配送されるようになった現在、「送料無料」が、消費者のみならずEC事業者のキーワードとなっています。一方で、配送のラストマイルを担う物流事業者ではECや通販の当たり前を支えるため、厳しい状況が……。ECにおける送料無料の仕組みと課題について解説します。
映画『ラストマイル』の中の宅配ドライバーの親子のセリフ
これは、コンビニのおにぎりの値段ではありません。「1個、150円」
観客動員数が358万人を超え、興行収入は約51億円を突破した(2024年10月7日現在)(※1)大ヒット映画、『ラストマイル』の中で、配送ドライバーの親子で交わされる会話です。
150円とは、1個の荷物を配達し終えて初めて配送ドライバーが得られる対価。受取人が不在で再配達が続けば、何度足を運ぼうとも利益にはなりません。10個運んでようやく1500円、一日に何個の荷物を運べば、配送ドライバーの生活は楽になるのか……。先行きが見えません。
狭苦しい軽バンの運転席で交わされる会話では、火野正平が演じる生真面目な父と、宇野祥平が演じる見習いの息子との働き方の対立も描かれています。
二人の間で共有される事実は、実直に働いた挙げ句に“過労死”で亡くなったであろうドライバー仲間のこと。薄給ながら昼休みさえ惜しみ骨身を削る高齢の父に対して、息子はせめて昼休みを取ることを主張します。このシーンには現在の日本が直面している労働に対する価値観や、配送のラストマイルの状況が凝縮されています。
『ラストマイル』のシーンと同じような今日において、ECや通販の世界では、「送料無料」が一般的になっています。送料無料は消費者にメリットがありながら、一方でEC事業者のコスト負担となり、配送を担う物流事業者の利益を圧迫する要因にもなっています。
送料無料が普及した背景
消費者にとって、送料無料であれば商品価格のみで商品を購入でき、別途必要な配送費用を支払う必要はありません。消費者にとってはうれしい仕組みですが、EC事業者や配送を担う物流事業者ではさまざまなコストが発生しています。送料無料が普及した背景には、以下のような要因が挙げられます。
1:消費者にとっては送料の安さが注文の決め手
リサーチ&マーケティング支援を行なう株式会社ネオマーケティングが2022年に「EC」をテーマにした調査を行いました。この中で、ECサイトを選ぶ際の決め手No.1となったのが「送料の安さ」でした。「やや重要」も含めると88.8%の回答者が「送料の安さ」を重視しています(※2)。
さらに、消費者が「うれしい」と感じる送料の設定について最も多かった回答が、74.1%を占める「全品送料無料」でした(※2)。このように、“送料”が消費者にとって購入を決めるキーワードとなっているのです。
2:送料がカゴ落ちの発生理由となってしまうため
「カゴ落ち」とは、ECサイトを訪れた消費者が商品カートに入れたものの、決済まで至らず、サイトから離脱してしまうこと。数あるサイトの中から、せっかく自社サイトにアクセスしてくれたにもかかわらず、ユーザーが離脱することはEC事業者にとって大きな機会損失です。
このカゴ落ちの要因の一つとして挙げられているのが送料です。決済段階で送料が上乗せされると「思っていた金額より高い」と感じて、消費者はそこで購入を諦めてしまうのです。
3:送料無料が集客力と企業のブランディング効果になっている
先述したように、消費者は送料無料を求めていますから、EC事業者にとっては送料無料をアピールすることが集客力につながり、ブランディング効果にもなるわけです。
また、Amazonなどの大手ECサイトが送料無料を打ち出すことによって、他社もそれに追随せざるを得なくなり、送料無料が一般化している側面もあるといえるでしょう。
送料無料が抱える課題
送料無料は、消費者とEC事業者にとってメリットがありながら、一方でEC事業者にとっては“デメリット”も。送料無料は集客やブランディング効果につながりつつも、利益率や顧客単価が下がり、収益を圧迫しかねないリスクがあります。いわば、もろ刃の剣です。送料はEC事業者が配送会社に支払う仕組みになっているため、本来消費者が負担すべき送料を自社で負担するとなると、利益率が大幅に低下します。
特に低価格商品で、送料が無料の場合は“原価割れ”を起こすリスクがあります。すべての商品を送料無料とすると利益率に影響が出るため、高額商品のみを送料無料にしたり、キャンペーン期間中は送料無料にしたりするなどの対策が必要となります。
さらに大きな課題が“配送コストの削減”です。EC事業者が利益を確保するために、物流事業者に対して安いコストで配送を委託せざるを得なくなってしまう。映画『ラストマイル』ではまさにこうした側面が描かれています。ラストマイルを担う配送ドライバーは安い単価で膨大な荷物を配送することを余儀なくされるわけです。
消費者の変化も必要
今、物流業界は担い手不足によって「物が運べなくなる危機」に直面しています。物流の2024年問題では、トラックドライバーの時間外労働が年間960時間に制限され、短くなった労働時間や収入の減少などによって、ドライバーが減少する懸念が生じています。今後対策を講じなかった場合、2030年には営業用トラックの輸送能力は34.1%不足し(※3)、トラックで輸送する貨物の重量は9.4億t不足するといわれています(※4)。
ちなみに、これを単純に10t積みの大型トラックに換算すると9400万台に相当します。350kgしか積めない軽トラックや軽バンではおよそ26.9億台分です。当然ながら、すべてを軽トラックに換算するには無理がありますが、いずれにしても相当な量の荷物が運べなくなる事態が推測できます。
こうした危機に対応するため、政府は2023年6月、経済産業省や国土交通省を中心に「送料無料」表示の見直しを含む「物流革新に向けた政策パッケージ」を公表。また、消費者庁は事業者や消費者に向けて「送料無料」表示の見直しについて、具体的な取り組みを呼びかけています(※5)。
これまで何とかやってこられたかもしれない「送料無料」表示。しかし、今後も物流を維持し私たちの生活を維持するためには、これまでの私たちの意識や行動を変える段階に来ているのではないでしょうか。
<参考>
※1:ORICON NEWS「『ラストマイル』興行収入51億円突破 “シェアード・ユニバース”大当たり」
※2:株式会社ネオマーケティング「全国の20歳~69歳の男女1000人に聞いた『送料設定や画像、ユーザーが求めるECとは』」
※3:国土交通省「2024年問題に向けて」
※4:公益社団法人 全日本トラック協会「知っていますか? 物流の2024年問題」
※5:消費者庁「物流の『2024年問題』と『送料無料』表示について」
【この記事の筆者:蜂巣 稔】
物流ライター。外資系コンピューター会社で金融機関・シンクタンク向けの営業、輸出入、国内物流を担当。その後2002年から日本コカ・コーラにて供給計画、在庫適正化、物流オペレーションの最適化などSCM業務に18年以上従事。2021年に独立。実務経験を生かしライターとしてさまざまなメディアで活躍中。物流、ビジネス全般、DXやAIなどテクノロジー領域が中心。通関士試験合格、グリーンロジスティクス管理士。