豆腐屋、総菜屋、金物屋、文具店、布団屋、洗濯屋、万事(よろず)屋など、大型スーパーがなかった時代から存在していたこれらの店は、街の住民の生活に寄り添いながら、今日まで細々と経営を続けている。
日本ではもう少なくなっているであろう懐かしの店は、韓国の地方都市はもちろん、ソウルでもまだ見ることができる。
いまだに残る懐かしの専門店
古風な店構え、ひと昔前によく見られたような大きな看板、店の外にせり出した陳列台、奥では主人とその友達がおしゃべりに興じていたりする。なんともスローで温かみのある光景だ。韓国では移動トラックの商品販売もまだまだ存在する。例えば、果物や野菜、鉢植えなど植物、絵画の販売などは住宅街でよく見かける。歩道の上に商品をずらりと並べ、主人は簡易椅子に腰かけてじっと客が来るのを待っている。
路地の片隅や駅の近くには古びた小さなコンテナを店舗とした靴磨き・靴直し店がある。常連客は靴が直るまでの間、主人と世間話を楽しんだりする。
つい先日、刃物の研ぎ直しを行う移動トラックが繁華街近くの大通りに停車していた。巡回トラックによる刃物研ぎがまだ存在していたとは! 驚いた。しばらく遠くから眺めていたが、客から預かった包丁を慣れた手つきで研ぐその人はまさに職人だった。
現実は厳しい……
これらの小さな専門店に共通することは、長年その仕事に関わってきた人の知識や技術は素晴らしいということ。良心的な値段、けれど技術は一流。人々はその店の主人が“匠の技”の持ち主であることを知っている。そんな昔ながらの専門店がある風景をいつまでも見ていたいと思うのだが、現状は厳しい。
大型スーパーの増加に伴い、これら個人経営の専門店は次々と廃業を余儀なくされているのが現実だ。チェーン展開をする企業にのみ込まれていく店も少なくない。地域に根差した商店を保護するために、大型スーパーの営業時間、休業日は法律で定められており、規定の時間内でしか営業が許可されていない。
しかし、それらが功を奏しているとはいえないだろう。大型スーパーのオンライン宅配サービスはあまりにも便利だし、消費者はきれいに包装されている大量生産品を好みがちだ。人気のショッピングモールは年中無休で営業しているから、若者はそちらへ流れていく。
日常的に街の専門店や市場の商店を利用する年齢層は高くなるばかりだ。新型コロナウイルスのパンデミックがそんな状況にさらに追い打ちをかけた。
豆腐屋も布団屋も、金物屋も、街の小さな専門店は、韓国でもそう遠くない未来に消えてしまうのかもしれない。
消えた漫画本貸与店
時代の変化とともに、いつの間にか消えてしまった店もある。そのうちの一つが漫画の貸与店だ。今ではひと昔前を舞台とする映画やドラマでしかその姿を見ることができなくなったが、その名の通り漫画をレンタルしてくれる店で、漫画だけでなく雑誌やVHSを取り扱う店もあった。
1980年代に登場し、2000年代中ごろまで、街の至る所で見かけたこの本貸与店(チェクデヨチョム)は、筆者も2000年に初渡韓した際その存在を知り、以降何度も利用した。
日本では漫画喫茶で読むか、そうでなければレンタルするよりも書店や古本屋で買って読むのが普通であったから、漫画を専門の店から借りるというシステムを珍しく思ったものだ。
また逆にそのころの韓国では、“漫画は借りて読む”という認識が一般的だったようだ。当時韓国にも漫画房(マンファバン)という漫画喫茶的な存在の店も多くあったため、なおさら漫画は買うものではなかったのかもしれない。
街の書店に並ぶ漫画本が意外と少なく不思議に思っていたが、まもなく韓国のこういった事情を知り、納得したことを記憶している。
さて、この本貸与店だが、2010年に差し掛かるころには、当時筆者が住んでいたソウルのとある街からも消えた。調べてみると、今でもごくごくわずかに残ってはいるようだが、すでに一般的な存在ではない。
そもそも漫画を買いたいなら自宅にいながらしてインターネットで購入できる、しかも韓国の配送は早い。電子書籍が普及した今となっては海外の翻訳漫画などもスマホで読むことができる。
そして何よりも、ウェブトゥーン(スマホの画面を縦にスクロールしながら読む漫画)が台頭し、韓国で漫画といえばウェブトゥーンである。こうした変化の中にあって、本貸与店は早々に消えゆく運命にあったのかもしれない。
いつの時代も変化しない事柄はないけれど、消えゆく、消えてしまった専門店のことを思うと、ちょっぴり寂しい気もする。